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今日のYOGA。「秋分:真珠のネックレス/頭いっぱいの十五夜/秋の陽射し、秋の恵」

昨年の11月からお休みしていた
「YOGA日記」を再開いたします。


出逢ってから8年目のヨガ。
日々続ける中で得た
気づきをつらつらと綴る日記です。

今回からは
二十四節気、七十二候にのせて
お届けしてまいります。


✴︎

秋分・しゅうぶん


【蟄虫坏戸・むしかくれてとをふさぐ】
「9月28日~10月2日頃」


<9月28日>

今日も1時間半近く
ヨガができた。

ゆったりと
今日の陽射し、風、空気を感じ

じっくりと
自分の思考、身体、心と向き合う

贅沢な時間だなと思う。


その中で蓄積される
「経験」


これからの暮らしに役立つのだろうな
ということも淡く思う。


外(自然のこと)も
内(自分のこと)も
知っている
から

また似たような
たとえば風が吹いた時に

上手に備えたり
いなしたり
味わったり
しながら

過ごせるのだろうなと。


「今ここ」を大切にしている
ヨガだけれど

「今ここ」の粒が連なると
まるで真珠がネックレスになるみたいに
細やかに「未来」へとつながっていく
のだな
と秋空のもとで思う。



<9月29日>

今宵は「十五夜」。

いつものごとく
こういう行事の日は

やるべきことで
頭がいっぱいになっている。


食卓を秋色に彩りたいし
薄(すすき)も飾りたい。

だから買い出しと
薄採りに出かけなくては
その間に細々とした用事も済ませなくては

といったことで頭がいっぱいになっていた。


これまでは
そう思ってもヨガに集中!と
自分に喝を入れていたけれど

今日は「これが自分なのかも」
なぜだか思えた。

あまりに毎度のことなので
この自分に慣れてきたのかもしれない。

自分の「直したいところ」を直すことが
必要な時もあるけれど

たとえば
早く寝る、掃除をする、食べすぎない
といった生活習慣は
変えてみると人生が良い方向に
向かったりするけれど


行事やイベントの日に
準備で頭がいっぱいになるみたいなことは

うまく飼い慣らしていくしかない
のかもしれない。

これを「治した」ところで
よく考えてみたら人生はそんなに変わらないからだ。


この変えても仕方ないことを
変えようとしていた自分がいたことに
気づかされた日。

時々現れるこの楽しみと焦りの混ざり合う
「症状」をわたしは持っているのだな
というふうに捉えてみようと思う。



<9月30日>

9月最後の日。
もう今年もあと三ヶ月かぁと思う。

何か素晴らしい一年の「結果」が
出ているわけでも
出そうにもないけれど

こうやって日々ヨガを続けていることで
得られているすこやかさと自信は
本当にありがたいもの。

誰かに表彰されることも、
褒められることもないけれど

「今」の自分を肯定して
好きでいられていること

ありがたいなと思う。



<10月1日>

朝からお茶会へ行くので
15分だけと思っていたら

集中のあまり30分ヨガをしていた。

お茶へ出かける日は
着物を1時間ほどかけて着るので

朝の時間が限られる。

それでもやはり
ヨガをして

身体を動かして、伸ばして
目覚めさせることは欠かしたくない。

歯磨きをしないで出かけることと
同じくらいに気持ちが落ち着かないからだ。

もしかしたら
それ以上のことになっているのかもしれない。


今日から十月が始まった。



<10月2日>

家族でゆっくりと過ごす日。

朝は自分の時間にしようと
マットをしく。

秋のやわらかな陽射しを
全身に浴びながら

ポーズを取っていく。


この頃の陽の光は
それに包まれていることが
あまりに心地よく感じられるほどに優しい。

優しくて、甘えたくなるような
自然の恵。


さぁ、今日も食卓を朝から
秋の恵でいっぱいにしよう。



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