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「論語」で正しい素養を身につける

みなさんはじめまして!

私は通信制高等学校のサポート教室長という立場で、学校では主に数学を教えていますが、その他にもスクラッチというビジュアル言語のプログラマー(インストラクター)としてスクール運営や、小学校非常勤講師、契約先の学習塾顧問、テキスト制作など、幅広く活動しています。

そのほかにもMiPというロボットを使ってPTAや子ども会、商業施設などでプログラミング体験教室を地域の仲間と共にボランティア活動をしています。

プログラミングといえば、2020年度から小学校の総合学習として始まりました。今一番のトレンド教育ですが、どんな流行りにも大切なことがあって、プログラミング教育で言えば「論理的思考力(ロジカル)を鍛える」という大きな目的があります。もちろんそれも大切ですが、私は全ての教育に倫理的思考(エシカル)があってこそ活かされるのだと考えます。

では倫理的思考を学んでいくにはどんなことから始めればよいのだろう?私自身は幸い両親から受け継いだ誠実な心で、今日まで生きてきたわけですが、経験則だけで人を育むのは時に危険なときもあります。

例えば、「私たちの時代は〇〇だった!だからこうするもんだ!」という話を聞いたり自分がしてしまったりすることがあると思います。

何が正しいかの判断は「自分自身」であることが多いので、まず自分自身が経験則や、インターネットやSNSでの情報だけでなく、古来から伝わる叡智の力で判断できるようになると良いのではないか、そう思うわけです。

私は先生から「不易流行」の大切さを教わりました。不易とは「本質、大切なこと、変わらないもの」流行は読んで字の如く「流行り、変化し続けるもの」という意味です。

プログラミング教育の「流行」はプログラミング技術の修得、「不易」は論理的思考力の鍛錬という位置づけになろうかと思います。

双方大切ですが、もっと大切なのはその学びを「何に活かすのか」ということです。極端な話をすれば、その学びや技術を将来悪いことにも活かすことができるのです。例えば、私が育てた生徒が将来他人の口座からお金を引き出すプログラムを作って悪用したならば本末転倒です。それなら育てないほうが良かったわけです。

流行ばかり追いかけると本質を見失います。私自身もそうであると感じたので「論語」の勉強をはじめました。教育者として、人として、あるべき教養を身につけることがまず大切であると同時に、少しでも多くの方にこの素晴らしい学びをお伝えすることができれば、そう思いこの「note」を始めることにしました。

そこで今日はひとつご紹介したいと思います。

「学びて思わざれば、則ち罔し。思いて学ばざれば、則ち殆し。」(まなびておもわざれば、すなわちくらし。おもいてまなばざれば、すなわちあやうし)

人から学んだだけで自分で考えることをしないと何もはっきりわからない。反対に、ひとりで考えているだけで広く学ばなければ狭く偏ってしまう恐れがある。という意味です。「私たちの時代はこうだった!」だけでは危ういということです。

思考を深めることはできても、学んで知識を深めていくことは、意外に私たちは苦手かもしれません。不易流行や学習と思考のバランスを大切に、全ての物事を判断したいですね。

これからも「論語」を少しでもわかりやすく、みなさんにご紹介できればと思いますのでよろしくお願いします。

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