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ダイナマイトに火をつけろ

 こんな社会に唾を吐き
 ダイナマイトに火をつけろ

 1月28日はどんとの命日。2000年に亡くなっている。もう22年。どんとと同じ時代をゆっくりと生きていけると思っていたけれど、どんとは駆け抜けていってしまった。
 この曲聴くと、血湧き肉躍る。進もうという気になる。

 心理学部3、4年次。大学院修士課程修了。その先どうするかなんて考えてもいなかった。
 大学院に入るときに健康診断をお願いしたお医者さんが、当時名古屋記念病院の副院長。薬剤師で心理をやったなら病院で何かできるだろうと、心理士として勤務することを提案してもらった。どうなるかも考えずやってみることにした。その頃の名古屋記念病院は、癌治療を専門にしていこうという方針だった。
 所属は、ケースワーカーの方と一緒に相談室となった。相談業務などやったことがなかった。まずは、当時、入院患者さん全員に、がんの告知を希望するかどうかという質問紙があり、記入できない人に代筆をするべく、ベッドサイドへ行くという仕事があり、そこで患者さんと話をするという経験から始めた。痴呆の方、体調のかなり悪い方、心理的に不安定な方。さまざまな方にお会い出来た。その当時、癌の告知を受けるなど、とんでもないという時代だった。そこで癌の告知を受けたいかどうかを聴くのはデリケートな話だった。痴呆の方であっても、何かこちらに伝えたいということはあるということがよく伝わった。これは、訓練キャンプや、訓練会などで、重度重複障害児の子供とのやりとりから、言葉でなくても何が伝わるという経験をしていたので、じっくりと面談に取り組めたと思う。
(つづく)

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