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106.競争するなら正々堂々と戦うべし。卑怯なやり方だと一過性に終わる

著・三松會 占心行動学塾長  脇田尚揮   ■LINE公式アカウント■
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社会の中において“競争”は避けて通れないものであり、同時に必要なものでもあります。特に経済における競争原理は、資本・労働・技術などの資源配分の効率性にも関わってくる重要な概念です。

個人や企業に必要とする資源が限定されているなら、その資源獲得のために競争が行われ、その中で優位な者がその資源を得られるとする資本主義の基本原理でもあります。ただ、ここには条件があります。それは“正々堂々”であること。独占禁止法などがその裏付けだと言えます。

例えば、“過当競争”では慢性的に供給が需要よりも過剰な競争であって、生産者を損なう状態になってしまいます。また、売られるべき財やサービスの供給が需要よりも過剰なときにも起きます。これは卑怯なやり方によって、経済が偏ってしまうことの結果です。たいていそれは一過性の刹那的な形で終わってしまうでしょう。

「競争」という言葉のもともとは、福澤諭吉氏によって翻訳された単語です。互いに同じ目的に向かって勝敗や優劣を競い合うこと、というのが本来の意味。競い合った結果、強いものが生き残るというのは勝負である以上仕方ありませんが、卑怯者が勝つというのは倫理的にも経済的に見ても筋ではありません。

勇猛さだけでなく手段の正しさも担保して初めて、競争原理だと言えます。そうであれば、戦うだけでなく共に同じ目的に向かって走ることもできるようになるはず。敵同士ではなく、仲間として団結する局面も見えてくるのではないでしょうか。

結局のところ、それが長期的な生き残り戦略になるとしたら、競争よりも“共走”の道を模索する方が良いのかもしれません。

Q.あなたは他人と力を合わせることで、自分以上の力を出せた経験はありますか? 正々堂々戦って負けたとき、どう感じますか。


6.「地の理」とは時間的把握性であり変化を意味する「運命」である