見出し画像

表現の自由は殺されるのか / 全感覚祭 OSAKA

今あいちトリエンナーレに対して
文化省による補助金給付中止ニュースが話題になってます。


文化とは、表現とは、芸術とは、音楽とは。

ぼくは何かやるにも場所のグローバルとローカルで二極化していると考えています。そしてぼくがいるのはずっとローカルで何ができるかっていう場所です。

あいちトリエンナーレは愛知県を掲げて大規模に、国際芸術祭と称して、そして補助金、つまり税金をして援助されて開催されることで、余すことなく政治が関係してきうる場所での表現の場、つまりグローバルな場所です。

もちろん、日本政府は日本の文化を守るべきです。
今回みたいなことは国際的な世論や政治が関わって来ると、それが悪いことだとか、正しいことだとか、は実はあまり関係なくて、そういう事態になるのもわからなくないな、とぼくはどっちの味方をするでもなくそういう風に考えちゃうところがあります。
ある意味ではグローバルで活動している人たちはこの国を背負っている、この国にとても期待しているのだから、今回みたいなことにがっかりするのですね。人はどんなところでも限りなく自由であるべきです。そういう大きい舞台で戦ってる人にはほんとにがんばって戦ってほしい問題だと思います。

でもたぶんそうじゃなくて、グローバルな表現活動じゃなく、インディーズ精神で生きてきたローカルのぼくたち、日が当たらないなと感じてきた毎日、おそらくこの文章を読んでるぼくの友達中心の大半のひとたち。
わたしたちの表現活動、文化は、今回のことがあって死ぬんでしょうか。
ていうかそもそもそういうものに期待してるところにいるんでしょうか。

私たちのちっちゃい居場所は、大きな政治に翻弄されているように感じると思い込んでるだけで、身の回りの小さな政治から目を逸らしているんじゃあないか、もっと身の回りを個人のレベルで良くしていけるんじゃあないかということをまず考えたらいいんじゃないか、とぼくは思っています。

今、紙にどんな絵を書いたって、例えばそれが攻撃的な表現を含むものだったとして、誰にも見せなかったら怒られないし、
怒んないだろうな〜って思う近くの人にみられてもそれはやっぱり怒られないし、怒んないな〜ってひとだけ集めて展示会してもやっぱりそうそう怒られないし。そうやっていって、自分の小さな居場所をつくれるんじゃあないかと、思うわけです。

地方に関わって地域起こしだとか、二拠点生活だとかをしてる人が知り合いにたくさんいるけれど、自分の村をつくりたい!独立国家を作りたい!っていうのが目標の人は結構います。
もちろんどこの土地にいっても日本は日本。もっというと悲しいかな地球上のどの土地にいっても(ほぼ)どこかの国家に属する土地でしかありません。
身の回りを自分仕様によくしたところで突き詰めると先には国っていう大きな括りはどこまでいってもついてきます。

自分の村を作ったってそこが日本である限り選挙はやってきます。
国に期待できないからといってそれに無関心なことと、権利を放棄することはまた別にして考えなければなりません。


やっと全感覚祭の話、ぼくは思います。

僕らの時代のミュージシャン/アーティストは本当にやりたいことを誰にも邪魔されずやるにはどうしたらいいのか。

ぼくたちみたいなローカルから始まるムーブメントがむしろ国を動かさざるを得なくするんじゃないだろうか。

日本の表現の自由が死んだとかなんだとか、むちゃくちゃ関係ないよ。



っていうことをこないだの全感覚祭は証明してくれたのではないでしょうか。



2019.9.21 @堺駅 最寄りの港周辺
全巻感覚祭 大阪編

GEZAN主催、入場料無料、フードフリー
運営はすべてGEZAN運営レーベルの十三月と募集したボランティア、移転したファンダンゴ含む4ステージ開催、
来10月12日(土)には東京編開催。



ぼくは本番当日21日の2日前、19日の朝から現地入りしてステージ組んだりスタッフとして参加してきました。

画像2

ステージ作りも全てDIY


この全感覚祭ってなんなんだろう、フードフリー?
何目指してんのかな?

ってことをなんとなく考えながら参加しました。

実はぼくはGEZANのライブを見たことがありませんでした。

設営に参加することになったきっかけはぼくとおなじく都内で大工しながらの便利屋として働いてるしげるさんの紹介です。

しげるさんのいろんな技術ノウハウ教わりたいなぁ〜と思ってて、
「なんか仕事ないすかー」って飲み行った時に、
「一緒に全感覚祭のステージ組もう」
ってことで誘ってもらって参加することになりました。

なのでGEZANのファンで運営ボランティアをやる人と、
むっちゃGEZANと仲よくて無条件に手伝うよ!っていう人、ぼくはそのどちらの立場でもない人間でした。

だからこそこの入場フリー、フードフリー、東京大阪で2回各4会場で開催、かかる経費見積もり1500万円、そのあてはすべて投げ銭、運営全部DIY、みたいな事実だけ列挙するとトチ狂ったかのようなフェスを中間的な立場で体験できたとおもいます。




・迎えた本番

大トリのGEZANのマヒトゥー・ザ・ピーポーがMCでいってたこと


「今日こうしてこういうことができてるのは奇跡とかじゃない、当たり前にしていかなきゃいけないんだ」




この空間を当たり前にしていかなきゃとは??

この狂ったみたいな"1円も儲けたくない” 収益性ゼロのことを続けていこうっていう真意とは?
このことをすごーくよく考えながら東京まで帰ってきました。

多くの人にとってはその場が確かに現実から離れた最高の空間ではある。
だけど運営からしてみれば儲けなしのイベント。
稼げてせいぜい運営費用のトントンを最大の目標にしてる。
なぜそれが当たり前に続いていけるのか?



それとおんなじようなことをぼくもやってきたから、ぼくにとってはそれがとてもよくわかるなあとおもいつつ、噛み砕くまで時間がかかりました。



前置き長く自分の話をすることになります。
ぼくは15歳から25歳くらいまでずっとバンドやってて、それがなくなって、たまに趣味みたいなバンド続けるくらいになってきたときに、DIYで古民家再生するパーリー建築という存在に出会いました。
ここら辺の話はプレゼン資料公開してるのでぜんぶこちら


それまではライブハウスでライブやることにすごく真っ直ぐで、他の世界のことは全然知らなかったぼくは、”古民家改修を、素人たちで、パーティーしながらやっていく” っていうコンセプトのパーリー建築に出会って、なんでもシェアするいわゆるシェアリングエコノミーと呼ばれる価値観に触れて、場所作りってめちゃくちゃおもしろいし、空き家問題、地方の土地、場所、ぜんぶ視野を広げると余ってるんだな〜、ライブハウスだけじゃなくて、自分でフェス作ったりするチャンスめちゃくちゃあるな〜。
っていうことを思い知らされました。

古民家に住みながら改修中、毎日人が遊びにくるので、昼は一緒に改修作業、夜はそこでパーティ、ギター弾いたりして何弾いても歌ってもめちゃくちゃ喜ばれる、誰かが歌うと楽しい。っていう生活をしていました。

その時むちゃくちゃ考えさせられました。

今まで音楽やってきたのは、純粋にめちゃくちゃ売れたい!すごいもの作りたい!!とかもあったけど、そうじゃなくて、”みんな”に自分の音楽きいてほしいな〜、それが自分もうれしいことだなあ〜、自分がお気に入りのうたを口ずさむみたいに、そんな風にだれかの歌になったらいいな〜〜と思ってました。

その”みんな”ってどこからどこのだれなのでしょうか。
めっちゃ頑張ってライブの動員を増やしてその”みんな”を増やして、世に出てるロックバンドのそれみたいになること。
それはかっこいいしやっぱり憧れるけれど、もっと”みんな”みたいなものと近くにありたいな〜って。

古民家を改修しながらちょっと盛り上がってきたときに歌うことは、本当にみんな喜んでくれます。

その時に豪華なステージに上がって、はい披露します、はい聴きます、みたいのだけが音楽じゃないんだなあ、と気づきました。

むしろ頑張らないで、気取らずにいるのに、喜んでもらえる人の数はこっちのほうが全然多いんじゃないか??

しかもこれは金銭のやりとりの介在しない、純粋な価値の交換では?

ということに気づきました。




そこから究極の音楽体験に気づきました。それは

”だれかの誕生日にうたうハッピーバースデーソング” です。


あれ歌ってるときその場にいるみんなめちゃくちゃしあわせ!
だれもそれに値段をつけたり、価値の交換について思ったりも考えたりもしない。


たぶん、全感覚祭の目指してるところってこれなんじゃないかなあって思います。
ハッピーバースデーソングみんなで歌うののフェスバージョン
むちゃ失礼に聞こえるかもしれないけど、真剣です。




全感覚祭、今回は公式アカウントでも発表してたけどかかる経費1500万っていってました。
バカwwwwwwwwwってなる額ですよね。だって協賛も何も決まってなくて、集める前に企画して日付も決めてはじめちゃうのだから。
もうここで考え方が違うのでスーパーかっこいいです。

そもそもなんで投げ銭が必要なのかというと、会場費、楽器、音響機材だったり、それを動かす交通費だったり、トラックだったり、あとはアーティストのギャランティだったり、ゴミ処理、テント、机とか、あとはもろもろがこのかかる費用で、そのために投げ銭をおねがいしています。

たぶん今回大阪の募金の感じをぼく視点で見る限り、
ギリギリ収支トントンかマイナスなんじゃね?ってかんじがします。

めっちゃお金かかるんですけど、そもそもはなんでお金かかるかって、ないものを借りたりしなきゃいけないからなんですよね。

でもないものをお金で集めるんじゃなくて、モノで集められたとしたら?

トラック持ってる人がみんなのために貸すよ〜ってなったら?
会場、どうせつかってない場所だからいいよっていう場所、日本にたくさんあります。
心意気で音響セット貸す人、現れるんじゃないだろうか。
ギャラ、もらうけど、全部寄付するよって人、いそうだし、それめちゃかっこいいとおもいます。

もう今の時点でもすでに素晴らしいのは、人件費がすでにほぼボランティアだからかかってないってところです。
フリーフードも見事に集まって成立していました。お腹いっぱいでした。


極論めちゃくちゃ仲間を増やしていくと、今年みたいなそもそも1500万円かかるっていうことがなくなる、寄付貰う意味がなくなる?
っていうところまで、来るんじゃあないか?


そこでですよ、本当にそんなことが起こってしまうと、どうなるか。



本当に、音楽だけが、残る。






全感覚だから、正しくいうとフードもいれて、五感、第六感も?
それだけが残る、ことになります。



貨幣の価値とかを伴わない、音楽の価値の交換だけが行われる場所になる。

そこに政治とか業界のヒエラルキーとかお金とか、マジで関係ない。

ただ音楽のなってる場所がある、だけになる。




バースデーソングで例えたのに当てはめると
みんなが一つのこと誕生日会に集まって
ものを出し合って、プレゼントを用意して
純粋にみんなが、みんな自身で祝う。
みんなしあわせ!
だれもそれで利益を得たりしない。



あんまりGEZANサイドとちゃんとしゃべってないので、ぼくが考えてるたぶんの話なんですけど、
全感覚祭、今年で6回目だそうです。
6年前になんでこれをやりはじめたかって

「フェスとかって結局金だしヒエラルキーあるしな〜〜〜。
全部自分らでフェス、しかもタダでやったらおもしろいんじゃね??」

ってところから始まってると思うんですよね。


あんまり今年起こったようなフードフリーみたいな段階まで考えてなくて、ただ面白い方に進めってやってるうちに、気づいちゃったんだとおもいます。
政治とか大人とか金とか、生活とか、金ないからこれないとか、介在しないでかい場所つくれるな〜って。

ぼくの話の中でした
純粋に売れるみたいな価値じゃなくて”みんな”を増やしていきたい
っていうイメージ。
これなんだよなあ、って思います。

全感覚祭の運営をみていると、GEZANメンバーもそのファンも関係なくておんなじだけ働いてて、ただ一つのものを同じ目標をみんなで作るだけ。

GEZANのメンバー働きすぎるくらい働いてて自分たちの出番の直前まであっちこっちにチャリで奔走してて、本当に4人が全力でうごいてて、大丈夫かな〜と思うくらい。ていうかこの一週間くらい働きづめしてて練習する暇ないよね?まじでロックバンドなのか?と思うくらいでした。

こんなにも聞いてほしい何か伝えたい”みんな”を増やすために”みんな”とおんなじ目線でおんなじことをやるバンドが他にいただろうか。
不特定多数じゃなくて、確実に顔の見えるみんなを大事にしてそれを分かち合おうとしています。

そしてそれができる時代で、それが必要な時代だ。


全部踏まえての冒頭のマヒトゥー・ザ・ピーポーの言葉、

これを当たり前にしなきゃいけないって、
本当に誰のものでもないみんな自身で作るみんなのためのこういう場所が、必要なんだって



言ってるんだな〜ってぼくはおもいました。

よくロックバンドでお客さんに向かって主役はおまえだ〜〜って言ってるバンドいるけど、それよりももっと先に進んで僕たちみんなを主役にしてくれる形だとおもいます。




すごく次の時代的だな〜〜〜って思うんですけど、
なんでそうおもうかっていうのは、これはビットコインに似てるからじゃないでしょうか。
ビットコインは本来、中央政府機関が作った貨幣じゃなくて、支える人で勝手に生成されて運営されていくっていう仕組みで
どこの国の発行通貨でもないからグローバルな、どこにも寄らない通貨なので世界を一つにするんじゃないかっていう可能性を秘めてるものです。

実際は資産家によって簡単に動かされちゃってるからそうではないみたいなんですけど。知らんけど。





そんなこんななことを、言葉にできないまま感じつつ、当日はじめてみたGEZANの演奏は破壊的でありながら実はむちゃ繊細で、でも別に演奏がどうとか、どうでもいいくらいむちゃくちゃに全部かっこよかったです。

モッシュ、作ったステージ後ろに動いちゃうんじゃないかなと思いました。
後ろのお客さん、道路まではみ出ちゃうんじゃないかとおもいました。

ギリ、なんとかなった、まじでギリ、すごい、でも奇跡とかじゃない、
みんなで作ってるから。


ここまでは、よーーく考えてこの文章書きつつ考えたことですが、



もうさいしょっっっからわかってたんですけど、

全感覚祭参加して単純におもったのは




うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
負けたわああああぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
おれ場所つくるのだけに必死になってばかりいたあああああああああああ〜〜
GEZANはそうこうしてるうちにオレをぶち抜いて場所も音楽でかっこよくいつづけることも、同時に爆進してたわあああ〜〜〜うわああああああ〜〜〜〜〜、
1500万、あてもなくはじめられるか??覚悟とは??
むちゃくちゃかっこいいいよおおおお〜〜スーパーヒーローかよおおおおお
しかも自分らでフェス作っちゃうくせにちゃんとフジロック出てるし、まあああああじでどっちもやっちゃうんじゃん〜〜〜〜〜まじか〜〜〜〜〜


ってことです。


くやしい〜〜〜くやしいから今後も、東京開催もマジにはならないけど適度に手伝うわぁ〜〜〜〜


っていうことに尽きました。


さいごに、
フードで近隣店舗から食中毒でたのは日本昔ばなしみたいな事が起こりました。


直接関係ないものの来場された方の中から被害はでてしまいました。
全快をお祈りしております。

この保健所のルールをクリアーしないといけないってことが、
ここが日本である限り切っても離せないものの一つ。
改めて、ちゃんとやらなきゃいけないことはちゃんとやらないといけないといけないですね。






あとはギリギリでいい、許してくれる人しかあつまってないから。


ギリギリだったな〜〜〜



みなさん、東京編、手伝いに行きましょう



あ、ぼくは大阪当日トゥクトゥク運転してた人です。
あのトゥクトゥクタクシーで募金いっぱい集まりました。
ありがとうございます!
食中毒になってしまった人の搬送に役立ちました。

あれ使って大阪の不動産案内しているクレイジーな不動産屋が友達にいます。
大阪在住の人はぜひW.D不動産まで。

画像1


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?