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【読後メモ】旅のラゴス - 筒井康隆

読みました。気になったことを淡々と。

俺TUEEEEE

この本を薦められた際、「文体はかしこまっているが、内容はラノベっぽくて読みやすい」と聞いていた。読み終わってなるほど、これは最強主人公ハーレム冒険記といっても差し支えないなと思った。

主人公のラゴスは教養と人徳に優れ、旅の行く先々で人をたらしこむ。男にとっては尊敬・嫉妬の対象となり、多くの女に恋慕われる。
自分はラノベはあまり読まないが、こういった主人公が優秀すぎる物語は、読者の自己同一化を煽る装置に過ぎない浅ましきもの、という批判を受けることが多いと思う。この作品についても、たぶんそういった指摘は全くの的外れでは無い。

ただこの「旅のラゴス」における主人公の超人性は、自己同一化を煽る以上に、俯瞰した位置から作中世界を観測する装置として必要な設定なのだと思う。
ラゴスは旅の中で様々な人と出会う。その人には当然、ラゴスが出会う前からの営みがある。ラゴスから知恵を授けられたり、惚れる女がいたりもするが、結局は各々が生き方を定め、それを見届けたラゴスはその人の元から去っていく。

「旅のラゴス」は、ラゴスの旅の物語であると同時に、ラゴスが出会う人々の物語でもあった。ラゴスがいかに超人的であっても、この世界の住民は、ラゴスにそれまでの営みを完全に破壊され、単なる取り巻きに変質してしまうような脆弱な存在(ばかり)ではない。
むしろ浮世離れしたラゴスの目を通すことで、人々の営みが風刺的に、だが生き生きと描写されており、それが本作の大きな魅力となっている。

学問への誘い

勉強したい、そう思わせてくれる作品だった。

主人公の超人性について先の項で述べたが、設定上のラゴスといえば、ちょっといいとこの育ちで教養と学問知識があり、あとは「誰が見てもわかるいい人オーラ」を出せるというだけの存在だ。
だが文明崩壊後の作中世界において、学問知識が何よりも強い武器となる。ラゴスは工業・政治・物理など自らの知恵を遺憾なく発揮し、ときには知恵を授け、ときには過ぎた力を与えないよう調整したりする。

このあたりの描写が絶妙で、「知恵者であるラゴスが、学問的知見から状況判断し、行動を起こす」という一連の流れが、読者に対して「これはどういう知見に基づいてこういう判断をしたんだろう?ラゴスには何が見えてるんだろう?」という疑問を持たせるようになっている。
学問を修めることでこの物語をもっと深く理解できるかもしれない、世界の見方が変わるかもしれないと、読んでいて知識欲を煽られる場面が何度かあった。

人生という旅

主人公のラゴスは紳士的な人間だ。命を狙われでもしない限り、基本どんな相手にも親切・丁寧に振る舞い、ラゴス自身も人から愛されることになる。人に善く接することが、人生を善いものにしてくれる、というのが本作のテーマのひとつなのだろう。

だがこの主人公、決して我欲と無縁の人間というわけではない。
当初の旅の目的は学問知識を得ることだが、世直しなど具体的な問題解決のためではなく、単に個人的な知識欲がその原動力だ。また、物語序盤に出会った女のことをいつまでも忘れられず、その幻影を追いかけたばかりに命を落としかけたりもする。
他者からは聖人君子のように扱われるけど、物語の最後まで主人公を突き動かし、未来への原動力となっていたのは、主人公自身の我欲だった。

だからこの作品のテーマは、学問と教養の尊さ、誰に対しても誠実に振る舞うことの大切さ、そしてそれらを基本とした上で、最後は自分の心に従って自由に生きることへの「赦し」なのかなと思った。
あるいは少し稚拙な表現になるけど、教養高く誠実に振る舞えば、我欲に生きる道であっても応援してもらえる、感謝してもらえる、ということなのかも。

最後のシーン、孤独な老人を1人残して命を捨てに行くラゴスに対して、老人は一度悪態をつくけど、結局、主人公は立派な人だと、旅の無事を祈って見送る。旅に生きたラゴスは、最期にその人生を肯定されて送り出される。
老人からラゴスへの「赦し」が、そのまま作品のテーマなんじゃないだろうか。

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「いつ読み終えるかしれぬそれらの歴史をおれは散歩する暇さえ惜しんで読み続けた。といっても、焦燥とは無縁だった。かくも厖大な歴史の時間に比べればおれの一生の時間など焦ろうが怠けようがどうせ微々たるものに過ぎないことが、おれにはわかってきたからである。人間はただその一生のうち、自分に最も適していてやりたいと思うことに可能な限りの時間を充てさえすればそれでいい筈だ。」


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