見出し画像

モノを回していく事が大事 / 贈与論 #6

人間の「豊さ」ってなんだろうかと改めて考えました。
豊かさとは手に入れるのではなくて、感じれる様になるものだと思うのですが、少なくとも何かを手に入れれば豊になれると思う人も少なくはないのかなとは思う。

人間は、他の動物以上にアイデンティティを気にしていて、何のために生きているのか考え、ストーリーを作り、実行したり、それ同士を戦い合わせている。
そういう行為を繰り返し、人間社会を発展させていく事で、いつからか人間が一番だと人間至上主義の考えへと移り変わる様になったのですが、本書を読んでいる、やっぱりどうしても人間よりも上の存在がいるんだなと思う。

「モノ」というのは、ただの物質ではなくて、何かが集まって出来たモノなんだと。何かとは、どっかから引き連れてきた霊や名声地位や、制度風習などまあ色々。
元々、社会での取引のベースは家族、村内の物々交換など交換という原理があり、貨幣を通じてやり取りするのは、ずいぶん発展した社会・コミュニティで起こる事である。
なので、「物」もただの物ではなく色んなモノを引き連れてきていたのだ。
今ではほとんど感じられないし、物は物である。

でも現代でも物は時々、その物の範囲から超える時がある。
「物」が「モノ」になる瞬間、例えば恋人にあげるプレゼントなどは、誰でも喜ぶ物ではなく、相手が喜ぶ物をあげた方が好ましいだろう。
そして相手はそれが安いも物だとしても、選んでくれた理由や背景を理解する事で、物からモノへと価値が一気に跳ね上がるのです。
またそのモノを通してあげた人も、自分の事を理解してくれているという事で、あげた本人の価値も上がる。

今回読んだ範囲は、与える義務と受け取る義務のついて書かれてた部分を読んだ。

富を証明し、権威を維持するために、富を消費分配する。
相手からの富を受け取るのも、お返しできる確信がある事=自分が劣ってない事を証明するために行う。それが出来ないと権威を失う事になる。

この様に物は人によって人格を持ち、人格(権威)は物によって作られる。
物と人は生活を超え、概念を通じて、繋がり溶け合う事で、人間社会というものが成り立っているのだと。

豊さが感じるものだとしたら、相手や、さらに言うと自然から何かを受けり(受け取った事を感じ)、それを何かしらの形で返せる様になると、感じやすくなるのではないんいのだろうか。
権威や地位など自分のプライド的なモノを維持するなら、本書的に言えば、その地位や権威などの富を使って分配する事が良いのかなと。

この解釈は色んな事を含むからこそ、この範囲内でも自分が精神的に貧しくなる可能性はあるが、もらった瞬間にあげる事が良いのだろう。
少なくとも、自分は何かを受け取って、今の自分が成り立っていると感じられる事が必要だろう。
循環が止まった社会や人間は上手くなりゆかない。
ちゃんと回していく想いが大事。

▶︎ 過去アーカイブ

・贈与論から考える #1
・贈与論から考える #2
・贈与論から考える #3
・贈与論から考える #4
・売買よりも贈与 / 贈与論から考える #5


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?