資本主義という新しい宗教。
このサピエンス全史やホモ・デウスを読む時や、特にまとめる時に思うのが本当に色々な事象が、よく繋がりあって書かれているというのを実感し、毎回「すごいな〜」と感嘆する。
下巻は、さらに現代に密接に関わってくる概念について書かれている。
だからこそ本書の上手くまとめられたストーリーを崩さない様に、頑張って切り取っていきます。
▶︎ 今日の一冊 / サピエンス全史(下)
前回、サピエンス全史は「人類史を元に現代の思考を理解する」のを目的とし、
上巻の方は、なぜ・どの様に”統一(グローバル化)”へと向かって行ったのかと「歴史×虚構」を中心にについて書かれてあると説明しました。
今回のこの下巻の方では、
「ホモ・サピエンスによって統一されていく過程とその手段を考えていく」
中で、なぜ近代から現代にかけて、どの様に急激な発展を遂げられたのかについて、「科学×秩序(宗教・国・貨幣)」を元に書かれています。
(前回の上巻)
▶︎ ピックアップ
近代には自由主義や、共産主義、資本主義、国民主義、ナチズムといった、自然法則の新宗教が台頭してきた。これらの主義は宗教と呼ばれる事を好まず、自らをイデオロギーと称する。(p,32)
「宗教」は貨幣・帝国に並んで、人類を統制する3つの要素の1つであった。
これによって、社会秩序を守ってきたが、社会が大きくなるにつれて脆くなりやすい。
これに対して、宗教は超人的構造によるな正当性を与える事で、絶対的な権威にして、秩序を守ろうとした。
だが超人的な教義に基づく宗教ではいくつか説明出来ない事や矛盾する事が生まれ超人的な宗教の存在の重要性は弱くなって行った。
反対に、ホモ・サピエンスがこの世界で最も重要な役割を果たすとした人間至上主義の様に、人間の崇拝が始まった。
これによって〇〇主義というのが生まれてくる様になった。
これの後ろ盾になっていたのは、神ではなく科学です。
ナチス最大の野望は、人類を退化から守り斬新的な進化を遂げる事だったからこそ、斬殺が行われた。
これは当時の正統的な科学的方法に基づいて、白色人種の方が優れている事を証明する研究があったからです。劣等な人種が人類を汚染するとされていたからだ。
”科学研究は宗教やイデオロギーと提携した場合にのみ栄る事が出来る。イデオロギーは研究費の費用を正当化すると引き換えに、イデオロギーは科学研究の優先順位に影響を及ぼし、発見された物をどうするか決める。”(p,89)
この様にいつからか、科学が政治と結びつく様になった事で、新しい知の獲得が力となり、歴史を動かすエンジンとなり、社会が発展していった。
近代の科学と帝国は、水平線の向こうには何か重要なもの、つまり探索して支配すべきものが待ち受けているかもしれないという、居てもたっても居られない気持ちに駆り立てられていた。(中略)近代のヨーロッパの人にとって、帝国建設は科学的な事業であり、科学の学問領域の確立は帝国の事業だった。 (p,117)
(前略)人間の驚くべき想像力の賜物だ。銀行が、そして経済全体が、生き残り、繁栄できるのは、私たちが将来を信頼しているからに他ならない。
この信頼こそが、世界に流通する貨幣の大部分を一手に支えているのだ。(p,130)
この様にして、科学・帝国・貨幣が相互に作用する事で一気に結びついた。
この結びつきを一言で表すなら「成長」である。
この成長はやりたい事であり、やるべき事であったため、みんな喜んで信じ、辛くても将来が明るいと信じて行動していた。
それに比例して社会もますます発展した結果、資本主義はあたかも最初からあった様な普遍的な宗教になった。
苦しみから抜け出すには、各々が資本主義の自由な権利の元、資本を増やしていく事が始まったが、そこで生まれた資本の格差は、新たな苦しみや支配を生み出している。
私たち現代人は、鎮静剤や鎮痛剤のを必要に応じて自由に使えるものの、苦痛や軽減や快楽に対する期待があまりに膨らみ、不便さや不快に対する堪え性が甚だ弱まったために、おそらくいつの時代の先祖よりも強い苦痛を感じると思われる。(p,223)
"戦争は採算が合わなくなる一方で、平和からはこれまでにはないほどの利益が挙がる様になっていた。(p,211)"
とある様に、新しく良い物を作ると、その副作用がある様に完全なものというのは、過去の宗教から科学・帝国へと移り変わる事を見ても、どうやらなさそうだ。
仏教の洞察に初めて接した西洋のニューエイジ運動は、「幸せは外部要因からではなく、自分の中にある」と、ブッダの教えとは正反対の考えを持つと。
そもそもブッダは、外部だけでなく、内なる感情の追求もやめる様に諭していた。
自分の感情に重きを置くほど、私たちはそうした感情を一層強く渇愛する様になり、苦しみが増す。
つまり成長や快楽を求めれば、私たちは常に苦しみ続け、小手先で消そうとするとより苦しみが強くなると。
そんな中でも、その科学が正当化され続ける限り、社会は成長し続け止まらない。この流れを変えられるのはもう資本主義に参加している資本主義者という信者にしか出来ない。
資本主義のあり方について考えている人は多いと思うが、これは非常に大変な事である。
反対に科学が進む方向に良い影響を与えるのは、上に比べれば簡単な事だろう。
そのためには、「何になりたい」かを考えるよりも「私たちは何を望みたいのか」と、自分の推測ですが、現状の概念ではなく、新しい概念を作らないといけないのではと。
▶︎ 所感
本書は、上巻の方で「なぜ人間が人間になれたか」の想像上の秩序について、科学・貨幣・帝国より現代に近い視点で語られているのですが、
現代の人間は、宗教を元にした「正しくある」という自立した姿勢よりも、「より良く豊かになる」といった、自己実現が重要視されています。
時代が進むについて、価値観の軸がどんどん自分に近づいていっているのがわかります。
自分の出来る事が増えていくと、自然と自分は何か出来るんだという正しくも、一種の幻想を抱くと。
その様な思いを元に近代から現代にかけて、人間の欲がブーストされ続けてきて、近代に持っていた課題や不安は、もうほとんど解決出来るからこそ、資本主義自体のアップデートが求められているのではないのかなと思いました。
そして今がまさに別れ道だなと思いました。
現状、残された課題は「苦しみ」「死」「天気など自然系」の3つなのかなと本書から感じました。
次の時代は、これらの課題を「解決」するのか。それとも既存の社会から違うポイントに注目して、全く新しい概念を生み出す「創造」をするのか。
資本主義は、効率化・均一・大量生産をテーマにしていたからこそ、この個別化されていく時代では、どちらが有利になるのか。
個人でちゃんと考えていく姿勢が重要になってくるからこそ、
改めて自立・他社尊重のコラボレーションが大事になってくるなと感じました。
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