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あなたの言葉にはストーリーが足りない



「あなたの文章にはストーリーが足りない」

twitterでつぶやかれた言葉が目に留まった。

仕事を終えた午後8時頃。
スーパーマーケットで買った半額シールの付いたお惣菜と、
茶碗に盛られた、実家のお米。
いつもの夕食に、最近はアルコールが付くことが多くなった気がする。

ご飯を食べ終えれば、テレビを見る。
面白いものが無ければ、スマホへと移り
SNSをひたすら見通すだけの時間。

そんな中、
手の平サイズの画面の中で、ある言葉が目に留まった

「あなたの文章にはストーリーが足りない」

投稿者は、とある表現者さん。
震災後東北で暮らし続け、暮らしを丁寧に言葉にされている。

不特定多数につぶやかれたその言葉は、
決して、ぼくだけに向けられたものではない。
ましてや、発信者との面識はない。
それでも目に留まったのは、自分なりに思い当たる節があったからなのだろう。

食べ終えた皿が残るテーブルにスマホを置いて、
少し考える。

自分の書く言葉にストーリーが足りない。
そうだと思った。

なんならストーリーを引いて書くようにしている
というより、ストーリーを用いて書くことが苦手。
思い当たる言葉が数日、いや数ヶ月経った今でも離れずに、
その理由を探してみることにした。


今のSNSはごっこ遊びだと思っている。

誰もが自由に簡単に発信ができるようになった現代で
何者であるかわからない人が書いた文章は読まれにくい。

誰もが、
自分は何者であるのかを、ほんの数文字で示し
自らの文章に付加価値を自らで付けることが求められる。

例えば…

国内の旅行先を探している人が読みたい記事は
どこの誰かが書いた旅行記ではなく
「日本中の全市町村を周った人が選ぶ、最高の旅行先」
という記事だろう

転職活動をしようと思う人が読みたい記事は
同じく
「新卒3ヶ月で退社した、私の転職活動記」
なるものだろう。

誰もが、自らに分かりやすいレッテルを貼っている。

かくいうぼくも「新人記者」というレッテルを利用したことがある。

けれど、この行為に少なからず抵抗がある
いや、抵抗したいという思いがあるのだろう。

それは「分かりやすさ」に反した文章を書きたいという思いからかもしれない。
「分かりやすさ」に固執すれば、同意や共感しか生まれないからだ。
詳しくは、「反分かりやす主義」に記したので、ぜひ読んでほしい。

他にあるといえば…

自分を1つのキャラクターやレッテルに収めることに抵抗があるのだと思う。
自分をうまく説明できない、ぼくではあるが
だからこそ1つに絞ることで、抜け落ちる、その他があるようで抵抗がある。
そもそも、お前はそんな多くの肩書のあるような人間じゃない
といった批判はあると思うが
人を1つの括りでしか、見られなくなる、
ことは非常に残念なことだと思うのだ。

更には
何者でもない人の言葉にも、同等の価値があると思うからだ。
「ストーリー」を経た人の言葉には、説得力がある。
(説得力は言葉を受けた人が定めるものだから、
もちろん個人差はあって、それは自由に各個人が決めていいものだと思う。)

かといって最終的に発した、その言葉の優劣は
「ストーリー」に左右されてはいけないと思う。
なんだか話が難しくなっている気もする…

例えば
「この世界を良くしたい」
この言葉を言った2人の人がいたとしよう。

1人はノーベル平和賞を受賞した
発展途上国の医療に長年従事してきた人だとしよう。
対して1人は、人から見ればなんの変哲もない高校生であったとしよう。

人は前者の言葉を重視するし、価値も高いと思うだろう。

けれども、その言葉自体の価値は等しくあるように思う。
なんとも説明がしずらいし、
ぼくにとっての価値基準なので説明の仕様がない気もする。
なんとか説明を試みる…

いい例を思いついた
マイナスの言葉で考えるといいかもしれない。

「死ね」
と発した2人の人がいる。
1人は、自らの親に
1人は、たまたますれ違った見知らぬ人に
その言葉に価値の優劣はあるのだろうか?

視点を少し変えてみる
言葉を受けた人で言葉の価値は変わるのか
言われた人が、政治家であれば
対して、ホームレスであれば

有名人に対する殺害予告のようなもので逮捕される人をたまにニュースで目にする。あのようなものを見ると、やはり同じ言葉でも発した人と、発された人によって、言葉の価値が変化するように思う…。
そもそも人そのものに価値の優劣を定めているのかもしれない。

社会的には
誰かが決めた価値としては左右しようとも
言葉の価値としては同等であり、同等として扱われるべきだ。
そして、ぼくは
同等に扱いたいと思う。
そもそも言葉の価値ってなんなのだろうとは思うのだけれど…


なんだか、いつも以上に思ったことをつらつらと書いてしまった。
さぞ読みにくかろう…

「あなたの文章にストーリーはありますか?」

どれもこれも読まれるための術であり
必要な側面も持ち合わせていると思うのだけれど…
ただ、そうやって書くことが難しい。
そして、どこか違和感を感じるのです。




まみや


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