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『3月の風に想いをのせて、桜のつぼみは春へとつづきます。』

こんばんは☆彡真美です(∩´∀`)∩

3月9日と言えば、レミオロメンの「3月9日」を思い出します。そして、忘れもしない、3.11の東日本大震災を思い出します。

なんと、あれから10年経つというのが驚きです。未だ鮮明にあの時の瞬間を覚えています。

社会人3年目くらいでしょうか…。転職して1年目くらいの小さいベンチャー企業に勤めていたときに、私は東日本大震災にあいました。

私の地元の茨城県も、ニュースでは目立っておりませんでいたが、被災地の1つでした。

◆「死ぬかもしれない」と初めて心の底から思ったとき。

当時、ベンチャー企業に勤めていた私は、この時間は、書類の整理をしていました。

この企業、人材派遣の会社だったのですが、「ビルが春一番レベルの風で揺れる」のが私にとって、1番の恐怖でした。

(免震構造だったようです。)

私は、ビル風が嫌いで、東京に来てからは余計に怖くなってしまいました。

(傘を差すのも正直怖い…)

しかし、この出来事のせいで余計に怖くなりました(~_~;)

書類整理中に、揺れだしたときは、最初は、また風のせいで揺れた?と思いましたが、下から突き上げてくる揺れに何かいつもと違う!とすぐに思いました。

営業さんはほぼ外に出ていたので、社内にいる人は5人ほどでした。私は、とっさに頭を守ろうと、机の下に隠れました。

(やばい、これは死ぬかも……!!!!)

ビルが倒壊するかも、と本気で思ったので、私は机の下から出るに出れませんでした。

「……こっちにこい!!!」

大きくビルが揺れている中、その声にはっとしました。
当時の上司が、扉を抑えて、外に出れるように、こじあけておいてくれたのです!

私は何とか、揺れているビルから脱出して、外に出ました。
救急車や、消防車の音がすさまじく、何が起こったのかを理解するのに時間がかかったのを覚えています。

◆私を救ってくれた1本の電話。

建物から離れて、揺れが収まったのを見て、全員で会社の中に入りました。

勿論、書類も棚も倒れていたので、ちょっとずつ整理しました。
社長もすぐきてくれました。その時、私は、実家に電話しましたが、繋がらず…。安否が不明のままでした。

会社のラジオをつけると、震災地が宮城、福島であることを知り、その隣である茨城も被災地に入っていました。

家族の安否が分からず、不安になる中、社長が車で家まで送ってくれるとのことで、車を持ってきてくれましたが、交通渋滞がひどすぎて、車よりも徒歩や自転車の方が役に立つレベルでした。

1人で家に帰っても不安で仕方ない。
車も渋滞が凄すぎて、家に帰れるか、わからない。

どうしようと思っていた時に救われたのが1本の電話です。

現在、10年以上お世話になっている御夫婦の友人が電話をくれました。

(当時は、まだ結婚していませんでしたが、2人共、ずっと私のことを大事にして下さっている存在です。)

電話をくださったのは奥さんの方で「地震で、皆、一人暮らしで心細いと思うから、うちに来ないか?」と声をかけてくださいました。

私は、1人暮らしの家に帰るのが不安だったので、とてもありがたい事でした。
社長が途中まで送ってくれましたが、一部電車が動き出したニュースを聞き、駅前で降りて、地下鉄に乗りました。

電車は予想しておりましたが、スーパーラッシュで、全く乗れず、何回も見送りましたが、何とか乗ることが出来ました。
しかし、途中で押し出されてしまい、途中下車。

そこからは、歩いて、そのご夫婦の家に向かいました。心細さで死にそうになっていた時に、「おーい!!!」と声をかけてくださったのが、友人の旦那さんです!

なんと旦那さんも歩いて帰る途中だったとのこと。偶然、私を見つけて拾ってくださいました。

ありがたい!!!!

そして、御夫婦の家に無事辿り着き、東京の友人数名と合流することが出来、心から安心しました。

あとは、家族の安否のみが心配でしたが、いつまでも繋がらない電話と、津波のニュースと緊急事態速報のサイレン音だけ頭に残ったまま、眠りにつきました…。

本日はここまでで🍀

新たな世界の入口に立ち
気づいたことは 1人じゃないってこと    (3月9日/レミオロメン)


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