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いいプライドと悪いプライド

 プライドという言葉を見た時に、真っ先に思い浮かぶのがドラゴンボールのベジータです(笑)。
 最初はプライドの塊だったのが、家庭を持ち、いろんな経験をして少しずつ軟化していき、終盤には「カカロット、お前が一番だ」のセリフを放つまでになったのには震えましたが、「プライド」ってそもそもどんなものなのでしょうか?

 「自尊心」と訳される通り、自分を認めて敬う気持ちが本来の意味ですが、巷で「プライドが高い」と使われる時は、なんとなく悪いニュアンスをはらんで使われていることが多いような気がします。

 ただ、「自尊心」って自分を認めるためには必要なもののはず。

 ここでは私が考える、「いいプライド」と「悪いプライド」を記してみようと思います。

いいプライドとは?

 今まで自分がやってきたことを、自分で肯定的に捉えて誇りに思っている状態のこと。
 密かに本人の中だけで育まれるものであって、わざわざ人に言うことはない。

 何か新しいことを始める時など、必要な時に出てきて自信をくれるもの。
 「この経験があるんだから、今回もきっと大丈夫なはず」というような。

 たとえば、私は退職勧奨を受けて転職活動を始めたことがあります。
 その前に2年半の実質プータロー期間と、レストランやホテル清掃のアルバイトを体験しています。
 これ、当時、旧帝大の理系博士課程の人間だったらありえない進路らしくて、アルバイト先で「そんな学歴の人見たことない」と言われたほど。

 ただ、この経験があったことで、どこにも正社員として受からなくても、アルバイトができるという自信に繋がっていきましたし、学歴関係なく職場に溶け込めた経験は、安心感を与えてくれました。

 今は、あの頃の経験を、「自分、よくやったな」と誇りに思っていたりします。
 人を励ます時以外、人前ではほとんど言いませんけどね。

悪いプライドとは?

 実は自分を認めていない、何に対しても自信がない時、自己否定している時。
 「それがないと自信を保てない」と感じて、わざわざ人前で「私はこれができる」「こんなすごいことをやった」自慢・マウントしてしまうものが「悪いプライド」だと思っています。

 人を不快にしてしまう言動につながってしまうものです。

 そこには、「主張しないと誰にも認めてもらえない」という恐れがあります。

 本当にすごければ、わざわざ言わなくても、周りが言ってくれるものです。なので、わざわざ主張する意味がない。

 人に何かを自慢したくなる時は、自己否定という心のクセが出てしまっている時なのかもしれません。

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