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“何者か”になりたくて挫折したけど幸せになれた話「自分探しに終止符を打った40代」

やりたいことを見つけて100%幸せになるコツを書いています。

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40代に入って同棲してからお金に困ることはなくなった。お気に入りの家も見つけて、プライベートに関しては概ねご機嫌ではあった。

が、相変わらず年齢の割に収入は少ないし、肩書きはほとんどフリーター。いつまで経っても本当に書きたいことも本当にやりたいこともわからないから、何をやっても熱が入らない。こんなんでいいのか、と落ち込むことも多かった。

ちなみに、細かくすべてを書くと長くなるのでかなり端折ったが、20代の頃からは英語塾に行ってみたりTOEICを受験したり、PCスクールやグラフィックデザインのスクールに通ってみたり、ノンフィクション作家の講座を受けたり、興味のあることの本を読んだり、ブログを書いたり、noteを書いたり、サイトを運営してみようかと立ち上げてみたり、常に自分探しをしていた。

それでも何がやりたいかわからず、なんだかもう本当にそんな自分に嫌気がさしていた。

そんななかで40歳を超えたあたりから、私は資本主義というかむしろ、資本主義と共産主義の悪いところだけを合体させたようなお金至上主義のような日本に、少しずつ嫌気がさしてきた。例えば、利権者たちの手による無駄な再開発で、税金を使って街が無機質になっていくことなどに対しては、何て醜悪でセコイ(精神的に)んだと本気で腹が立っている。

そうゆう世界を少しでも変えられたらいいのに、と思うようになった。なぜ日本人はこんなにお金や世間に左右されるのだろうか?という想いもどんどん湧いてくるようになった。

高くて質の良いものを売るならまだしも、安いものをいっぱい売って、売る方は長時間労働、消費者は使い捨ててまた買い、誰もが疲弊するような仕組みはおかしい。それから頑張って働いて生産性をあげても、待っているのはさらなる仕事なのに、そこに違和感を感じないのだろうか?とか。

日々そんなことを感じていたので、改めて自分の価値観も考え直してみた。

そうして思ったことが、私は、精神的な豊かさや日本の古くてよいものを大事にしたい、ということ。そして、その価値に、多くの人に気づいてほしい、それが私のやりたいことだと気がついた。

それでスローライフとか好きな古民家関連のことを書いてみようという気になり、note(別のアカウント)を始める。

プラスして、昔から精神世界や心理などに興味があったこともあり、占星術を勉強を始めた(自分のように進路に迷う人にサービスを提供したい)。

これらは、今も続けている。

ようやく、やりたいことが、やっとわかってきたのだった
(ちなみに、やりたいことの見つけ方はのちのち書くつもり)。

やっとやりたいことがわかってすっきりとしたのだが、となると現在やっているWebメディアのアルバイトがこの価値観ややりたいことにマッチしてないことが、嫌だった。この生活、いつまで続くんだろう? あーはやく自分の好きなことでお金を稼ぎたい、バイト辞めたい、辞めたいと思うとなおさら仕事がつまらなく感じる。早く今の状態から抜け出したいと思っていた。

でも、スローライフについて書くことも占星術もすぐにお金にはならない。というかどのようにお金になるのかまだピンとこない。

占星術は、独学から始めていろんな講座を受けて、一応ホロスコープを読めるには読める。だだ、サービスを開始するには、実力も時間も足りない。

書くのは楽しいが、これをどうやったらマネタイズできるのかがわからない。そもそもガンガン更新できるほどの書きたい情熱があふれるようなネタが思い浮かばない。自分が興味ある日本文化や古民家の情報って需要少なすぎだし! 何を発信すればいいんだ? っていうかまだ何書いたらいいのかわからないとか自分何なん!? いつになったらわかるの?むりじゃんもうこんな毎日イヤダ!! とヒステリーを起こしたのである。

で、私はついに「何者かになろうとすること」をやめた。

ブログも書かなくていいし、占星術も独学はもうやめた。今やっても焦るだけで楽しくない(講座だけ受けるけど)から。

だいたい、私は先のことを考えすぎだ。要は今幸せになればいいのでは?ということに気がついたはずだったのに。また何かなろう、何かになろうと、先ばかり見ていた。今度こそ本当にもうやめよう、そう思った。

夫と晩酌して、好きな本を読んで、家族に会って、友達にあって、ただ日々を楽しんだ。

そして、仕事についても不満に思っていることを反省した。

在宅でそこそこの時給をもらっていて、人間関係も良好だし、得意なことは活かせているし、大変ありがたいじゃないか、と。不満に思ってしまうのは、自分で勝手に欠乏感を抱えていることが原因じゃないのか? と思うようになった。

生活全般、感謝できることを改めて思い出して、今を楽しむようにした。マイナスの感情が出てきたら、感謝できることを思い浮かべたり、好きなことをしたりする。今やっている仕事については、感謝を忘れず、そして憂鬱な感情が湧いても深く考えたりどうにかしようと足掻いたりすることをやめた。

で、そんなことを続けていたら、あっとう間に、今のままで、私はもう100%幸せだと思えるようになった。

何にもなれなかったし、好きなことで収入を得ていない。それでも100%幸せだと言いきれるようになれた。

とはいえ気まぐれで、仕事変えたいなぁ〜と思って自分の興味や好きと合致するライターの仕事がないか探したりもしていたのだが、一見興味のある求人を見ても本当にやりたいことではない気がして、応募はしなかった。ただ、本当にやりたいことやる、それを意識していた。

本当にやりたいことといっても、ほとんどすべてが小さいささいなことで、小旅行するとか旦那とお酒を飲むとか海外ドラマを見るとか、書きたいことをnoteに書くとかそんな感じである。そうしたらなんと、以前の何倍も書きたいことが浮かんでくるようになった。

で、それらをnoteに綴っているだけで、けっこう楽しいのだ。

そして、私はやっぱりエッセイや自分の視点でコラムが書きたかったのだな、と思った。

だからライターの求人を見ても本気でやりたいと思えないのだろう。

noteに書いてるようなエッセイを書いて生計を立てられるようになったら超絶に幸せだ。でも、今も100%幸せだから、今の生活をただ続ければいい。

苦節20年、私はやっと気がついた。幸せになる最大の秘訣は「自然にできるやりたいことをやる」、それだけ。灯台下暗しだ。外に求めていた幸せは、自分の中にあった。

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