ノスタルジアに浸るとき
皆さんはポケベルを覚えているだろうか?この間お客様で、まだポケベルのアメリカ版なるペイジャーを持ち歩いている方に会い、ふと懐かしくなったのだ。アメリカではドクターや緊急連絡が必要な職業の人間がまだポケベルを使っているそうである。
ポケベルが鳴らなくて、というドラマがあって、父がそれにはまっていた。それと同時に当てつけのように父が導入した留守番電話機能付きの電話機に、若い女の人からメッセージが残されており、ぶち切れた母はその電話機を闇に葬った。それから随分後になって私は高校生の頃、スーパーのレジのバイトを始め、ポケベルを手に入れたのだ。当時はクラスのみんなが持っていて、そういうのがあまり好きじゃない、あまのじゃくな私だったのだが、ドコモからパステルピンクのキティちゃんのポケベルが限定発売されたのだ。とにかく、人と違うことがかっこいいとか変な自意識過剰さがあった私は、この限定品なら使ってみようかな?なんて感じでポケベルを買ってしまった。
ポケベルの使い方は、結構ややこしく、まずポケベルの番号を入れ、私が使っていた頃は、数字を打ち込むとひらがなが送れるような仕組みだったと思う。あ、を送りたかったら11と打ち込む。あいしてる、だったら1112324493だ。
実家の電話は黒電話のダイヤル式だったので、私は家を飛び出し、坂を下った場所にある公衆電話でよくメッセージを入れたものだ。結構私が面白いと思ったのは、全く知らないローカル番号にランダムでメッセージを入れ、ベル友という友達を作る遊びだ。今では考えられない遊びだが、全くどんな人間なのかそれこそ男なのか女なのかさえわからない人間にメッセージを送り交流が始まるのだ。なんと素敵な遊びだろう。ほとんどが高校生だったが、中には社会人やフリーターの人なんかもいて、特に会うでもなくメッセージのやり取りを楽しんだりしていた。
高校の公衆電話には行列ができたし、電話代はかさむわで、結構すぐ飽きてきたのだが、一人だけ面白そうなベル友に会った。
その人と交わしたメッセージは特殊なものだった。うろ覚えだが、生と死に関しての少しネガティブなものが多かったと思う。しかしそういう話が大好きだったので、私はその人とメッセージのやり取りを続けていたのだ。そしてある日、最もネガティブなメッセージを受け取った。”かのじょとわかれた てくびきった”、というものだった。その人は年上で、フリーターかなんかで、ふらふらしていそうな感じの人間だった。実際に会った時も、やっぱりやばそうな人間で、髪の毛が長く、神経質そうで、酒に酔っぱらって、自転車で来た。自転車の飲酒運転だ。どっか行くかといわれて、躊躇した。当時、父の不倫相手が酒飲みで、酒の匂いに嫌悪感のあった私は、いや、もう帰る、と言って超特急でその場を切り抜けた。こっそり覗いた彼のふらふら自転車をこぐ後姿を見て、もうベル友ごっこはやめようと心に誓った。こういう事に時間を費やしているのは本当に暇な人間だけなんだ、と。その後、学校帰りに川遊びをしていた時、制服のポケットからポケベルが川に落ち水没して使えなくなった。ちょうどポケベルから、携帯にみんな移行している時期だったが、私はあえてそんなものは買わなかった。2004年に日本を去るまで私は頑なに携帯電話を所有しなかった。こっちに来てからも携帯電話を持ち始めたのは、仕事を始めてからだ。プランも通話とテキストだけ可能な一番安い二十ドルのプランだ。私はメッセージのやり取りが嫌いだ。めんどくさいし、顔が見えないし、書いたことが残る。電話も嫌いだ。話したい事は相手の顔を見てきちんと話したい。しかし、あのロシアンルーレットみたいな、不思議な、会った事もない人間にランダムでメッセージを送り交流が始まるのは楽しかったなあ、と時々懐かしくなるのだ。
そういう風に友達を作ってみたくなったので、某掲示板に友達募集を載せようかしら?と企んでいたりする。もしかしたら、素敵な出会いがあるかもしれないし、変な出会いでも、面白いかもしれない。ダーマとグレッグに出てくる、ダーマの親友ジェーンとの出会いは、間違い電話からで、間違い電話なのにすごく長い時間話した、という素敵なエピソードがある。知らない人間とは、話してみないと絶対に損だと思う。もしかしたら、その人は自分と同じような感性の持ち主かもしれないし、自分が知らないような面白いことを考える人かもしれない。私は今までの人生の中で、広く浅くの人付き合いしかしてこなかったので、特定の人間と深い人付き合いがしてみたいのだ。
世界規模で考えると、一生のうちに出会い深い関係になれる人間なんてほんの一握りだし、それすら出来ない内に一生が終わってしまう事だってあり得る。
しかし世の中には、怖い人間もたくさんいる。そういう人間に出会っても、第六感が働けばいいが、騙されたり、利用されたり、ひどければ極端な話殺されたりすることもあるだろう。私がアメリカに来た当時、道で声を掛けてくる人間はすべてシリアルキラーだと思っていた。でもそれでホイホイ誰にでもついて行ってたら、きっと殺されなくとも酷い目にあっていたかもしれない。
出会いは、一種の賭けでもあるのだ。
母は、誰とでもすぐに仲良くなった。そして、いい話にはすぐに乗ってしまうのだ。そういう事もあり、若い頃はずいぶん危険な目にあったらしいが、いまだに生きている。人間が好きなんだろうと思う。父も誰にでも優しかった。だから私はそういうDNAを多く持っているのだと思う。好きになった人間は、性別やセクシャリティーなんて関係ないし、面白そうな人間だったらぜひとも友達になってみたい。自分を嫌う人間にも興味がわくし、苦手な人間は、得意になりたいと思う。だけど、噓をつく人間だけは、どうしても好きになれない。人間だからちょっとは噓をつくだろうし、それが優しさならありだと思う。しかし、病的に噓をつき、その嘘が自分でさえ真実なのかわからない類の人間がたまにいる。そういう人間に振り回されたことがあるので、あれだけは二度とごめんだ。かわいそうだとは思うが、その嘘は自分を守るためのものなので、かわいそうと思うこと自体がもうだめなのだ。
ランダムで、たまにメールを送ってくる人ならいる。きっとインターネットの無限の海で漂流している私の忘れ去られた過去のブログやサイトなんかに興味を持ってくれた人が、ごく稀にだが、不思議なメールをよこすのだ。それを読むのは面白いし、返信しても返事が返ってこないことがほとんどだ。一度まだインターネットがそんなに普及していないころ、自称シナリオライターの人と、脚本のアイデアなんかを出し合って、カメラにまつわる作品を作ったことがある。ああいうのも、特に自分の名前が残ったりするわけではないのだが、考えを共有したりする、という空間が楽しかった。会ったこともなく、声を聴いたことも、顔を見たこともない人間同士が、同じ興味の対象を議論したり、アイデアを出し合い、全く違った方向に事が進んでいくのは面白い。
しかし、インターネットの世界では、そこでおしまいだ。安全だとは思う。そこに確かに存在しているのだろうが、物体や肉体が存在するということに少し結び付きにくい。パソコンを閉じれば、それが無になってしまう。ほとんど架空の人物だ。最近更新しないなあ、どうしたんだろう?生きているのかも、死んでいるのかもわからない。そしてそこだけ時が止まり、置き去りにされた人間たちだけの世界が瞬時に出来上がる。ちょっと悲しい世界だ。だから、私は今人間に会いたいのだ。会って深い関係を築いていきたいのだ。ちょっとやそっとのことでは崩れない、長く続く関係を。パートナーとか、そんな風に呼べる存在がちょっとほしい。
そして新しい共有世界や空間を作り上げていきたいのだ。そうすれば、仮に私が死んだとしても、私のことを思ってくれる人間が少なからず存在し、私はちょっとの間、思い出として生きながらえることができるのだ。そしてその人間が、私の思い出を生身の人間に話したりするとき、私の魂は、ちょっとだけ嬉しかったりするんだろうと思う。
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