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マミタス、ありがとう

つい先日の事だった。上の子が贔屓にしているユーチューバーの飼い犬が死んでしまって、その事で上の子が落ち込んでいたのだ。上の子はスーパーセンシティブ、ガラスのハートなのですごく傷つきやすく影響を受けやすい。私は馬鹿なので心の中で、会った事もない他人の飼っている犬にこんなに感情移入できるなんて、この子は生きていけるのかしら?傷付かずに丈夫に生きていけるのかしら?と不安になった。
それで、昨日の事だった。ツイッターのタイムラインで流れてきた、しょこたんの愛猫マミタス急逝の知らせ。私はあろうことか、感情の抑制が出来なくなって涙があふれてきて止まらなくなった。これを書きながら、また泣いている。短いそのお知らせには、色々な感情が込められているような気がした。マミタスが亡くなった19日から、一度も更新されてなかったしょこたんのツイッター。私はあふれてくる思いに脳が追いつけなくなっているのが分かった。落ち着かなければ。そう感じた。落ち着いて考えよう。どうしてこんなに悲しいのか、自分でもよく分からなかった。
そうだった、私はしょこたんに救われたんだ。
10年以上前、私はひきこもりで友達もいなく、ちょうど一人目を産んで仕事もしておらず、世界から引き離されていた。置かれていた環境も悪く、義母と同居をしており、その義母が同居人を増やしていくのだ。赤ちゃんと部屋に閉じこもり、ベランダでガーデニングというか、野菜を育てるのが私の世界の全てだった。天気のいい日はどうにか近くの公園まで行ける、そんな精神状態だった。車を買って三ヶ月で起こした自動車事故のトラウマで、車を運転する事も不可能だった。
当時連れがネットフリックスのような、DVD貸し出しサイト関係の仕事をしていて、それがアニメや外国映画に特化していたサイトだったので、私はアニメをよく観るようになった。どういうきっかけだったかもう覚えていないが、私はしょこたんのブログに辿り着いた。それから身勝手な自分の過剰な妄想だとかで、しょこたんの虜になってしまったのだ。
虜になった、好きになったら、私は同調したくなる。私はしょこたんと私の共通点を探し出した。父を亡くしているという事、母の名前がけいこという事、いじめられていた事、読んで育った漫画が同じ事、小さな頃戦隊ものが好きだったこと、そして猫を飼っている、という事。しかも猫の名前がマミタスという。私の本名は「まみ」なので真面目に嬉しかった。色々さがしては、共通点を見つけるたびに嬉しくなった。
改めて文章にすると、すごく根暗で気持ち悪い変態だが、当時の私は真面目にしょこたんを理解しようと必死だった。
そして思い込みが激しい方なので、しょこたんがロサンゼルスのアニメエキスポにスペシャルゲストとしてやってくる!という事を聞いたときは、もう自分の為に来てくれるんだとはしゃいでしまった。しかも連れの仕事の関係で、ベンダーのチケットがもらえる事となったので、あとはしょこたんのイベントのチケットを買うだけだった。
私はアニメエキスポの為に、しょこたんに会うために、何を着ていこうか、どんなコスプレしようか、と考えてあまりいいものが思い浮かばず、何を思ったか自分の子供にコスプレをさせる事にした。当時しょこたんはブログでスカシカシパンマンなるものをよく投稿しており、私はこれしかないと思ったのだ。赤い短パンと、赤いTシャツ。それにスカシカシパンをフェルトで作り、Tシャツの後ろにはI LOVE SHOKOTANと綴った。
LAコンベンションセンターの隣にあるNOKIAシアターで、しょこたんのライブは開催された。驚くほどのお客様が会場一杯になり、日本からはるばるやってきたファンの皆様もいた。しょこたんは本当に愛されているんだなあ、とうれしくなったのを覚えている。そして、しょこたんの歌は力強く、優しく、説得力があり、本物だった。エンターテイメントの魔法のような、凄さがあった。彼女は何度もコスプレのお色直しをしてくれたし、本当にみんなを楽しませようとしていた。そして周りにもそのすごさが伝染していって、会場が一つになった感があった。
私は徐々に外出するようになり、裁縫などの趣味も再開させた。貧乏だったのでそこまで大金はつぎ込めなかったが、しょこたん関連の雑誌やら写真集まで集めるようになった。
私は底の暗闇よりも、見上げた光を目指すようになった。
しょこたんはそのきっかけをくれた。
だからしょこたんの愛猫、マミタスの急逝の知らせを聞いた時、あんなに涙があふれて止まらなかったんだと思う。しょこたんがどんなにマミタスを愛していたか、しょこたんがどんなに彼女の猫たちに愛情を注いでいたか、毎日のように読んで力をもらっていた。生きるきっかけをくれた、そして生きようと思った。だから、他人事とは思えなかったんだと思う。
私も数年前に一番なついていた猫、ユキを亡くした。その前は日本にいた時に飼っていたケルケルだった。二匹とも私がいる場所で息を引き取った。ケルケルなんかは最後の力を振り絞り、私の横まで来てくれて最後の一息を吐いた。ペットの死というものは、人間の死とはまた違った次元の悲しみがある。それが小さな頃から育てていたペットなら尚更で、悲しみは募るばかりで、隣にそのあたたかさがない事とか、からっぽで、いたたまれないのだ。そして動物は喋れないから、本当に幸せだったのかなあ、とか考えてしまうのだ。
我が家には今三匹の老猫たちがいる。もうすぐ彼らもあちら側の住人になるのだろうと思うと、切ない。
最後までしょこたん思いのマミタス。猫は自分勝手だというけれど、沢山の猫と接してきて感じる事は、彼らはすごく人間ぽいし、感情もちゃんと持っているし、優しくしてくれる人に対しては恩を忘れないという事。
きっとまた巡り合えるし、ずっとみんなの心の中で生き続けていくと思う。マミタス様のご冥福を祈ります。

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