見出し画像

断頭または斬首への痛い憧れ

小さな頃から私には変なあこがれがあった。小学生のころ、好きな本に出てきたジェーン・グレイについての下りで、私は彼女にとり付かれたように夢中になり、どんな小さな事でも探してまわった。ある日、偶然に母の所有するレコードの冊子の中で、ジェーン・グレイのページを見つけた。そのページを開けたまま床において、いつの間にか眠ってしまい、ふと違和感がして目覚めた。鼻血だ。暗闇の中、ぽたぽたと落ちてくる鼻血を手で庇い、何とかして電気をつけて、ティッシュを探そうとしたとき、床に置きっぱなしにしていた冊子に目がいった。ジェーン・グレイのページが、鼻血で真っ赤に染まっていた。

レディ・ジェーン・グレイ。イギリスの女王。たった九日間の即位ののち、メアリー一世により廃位され、ロンドン塔に幽閉され、その後斬首刑により17歳の短い生涯を閉じた。

ドラローシュによる絵画、「レディ・ジェーン・グレイの処刑」の中で彼女は真っ白な着物を身にまとい、白い目隠しをして神父様に誘導され、首をのせる台を探している。その横には真っ赤なタイツを履いた首切り役人が、斧を持って待ち構えている。二人の侍女は泣き崩れ、嫌でも次の場面を想像してしまう。

脳みそと心臓が離れた瞬間、人間はどうなってしまうのだろうか?人間は脳で考え、心臓で感じるのだろうか?それとも、脳だけで考えたり感じたりしているのだろうか?頭が痛みを感じるのだろうか?それとも、切り離された体に残っている心臓にも、痛みを感じる事が出来るのだろうか?そんな事を考えていくうちに、私の心には斬首や断頭に対する病的ともいえる、甘美な憧れが生まれていった。

次に夢中になったのは、中学生のころ第二次世界大戦にはまり、その時に知ったドイツ人、ゾフィー・ショルで、彼女はナチスに反発するドイツ人学生による非暴力の白バラ運動の主要メンバーだった。

医学生だった兄やその友人と、自由を得るために暴力ではなくまさしく、ペンでナチスに立ち向かっていった。彼らは、ガリ版でビラを作成し、それをドイツ中に郵送し、それに共感した者たちは複写し、小さな都市にまで広がっていった。

”恐怖を伴う終末は、常に、終末なき恐怖に勝る”

そう書いた彼らは、第六のビラをミュンヘン大学でばらまき、その時不運にもゾフィーがナチス党員の職員に発見され、兄とともに拘束された。二人は友人をかばい、すべての責任を自分たちで負うと決心した。

拘束されたのが、二月一八日。そして裁判で反逆罪により有罪になり、死刑判決が出たのが二月二十二日。その日の午後五時、まさしく見せしめのように彼らはギロチンによる死刑を施行される。ゾフィー、二十一歳だった。

ある夜、不思議な夢を見た。夢の中で私はゾフィーで、死刑場に向かっている。後ろ手に拘束され、オレンジ色の夕日がまぶしかった。その夢をみた数年後、私はゾフィーについての映画を見ることになるのだけれど、そこで最後ゾフィーが死刑場に連行されるシーンが、私の見た夢にあまりにそっくりだったので、すごく驚いてしまった。あの、オレンジ色の夕日を彼女も見たのだろうか?

その後も斬首による憧れは陰ることなく、不謹慎な甘美さを共有できる人間は見つからず、私は生きているのだが、かつてギロチンによる死刑が広く行われていたヨーロッパでは、切り落とされた首に群がる科学者が多く存在したらしい。彼らは、切り落とされた首の反応に興味があり、死刑施行前、死刑囚に切り落とされた後、瞬きをするように頼んだり、切り落とされた首を殴って反応を見たり、結構すごいことをしていたようだ。やはり、死についての深い興味が人間の根本には宿っていて、それを知りたいと思うことは、別に変なことではないと思う。

まだあまりインターネットが普及していなかったころ、私はお小遣いをためたりして、死についての文献や、自殺の事がまとめられた分厚い自殺事典、拷問事典等買いあさった。そういう文献が売られているということは、流通するということで、やはり私が憧れているように、ほかの人間もそのことについて興味を持っているということだ。

日本では、切腹という行為が行われていたし、その切腹する人物の傍らには介錯人と呼ばれる、切腹人の首を切り落とす人がいた。切腹しただけでは、絶命するまでに時間がかかり、苦しむらしいので、首を切り落として、苦しみを少なくする計らいだ。切腹は名誉のある者にしか許されていない処刑方法だったらしい。現代の日本においてたまに自殺が流行するように、江戸時代、切腹による殉死が流行したらしい。自殺マニュアルに類似した、切腹マニュアルも存在したらしい。いつの時代も、流行するものは似たり寄ったりで、根本的な人間というものは大昔からほとんど変わっていないのかもしれない。

突発的自殺未遂の経験がある人ならわかるかもしれないが、じわじわと傷をつけると、痛みが先走り、深い傷は作れない。しかし、アドレナリンがあふれて、イライラが爆発するような感覚で突発的に傷をつけると、とてつもなく深い傷がつく。厳かで静粛な場所で切腹をする人間は、どのような覚悟で自分の腹を深く突き刺し、横に引けたのか全くもって謎である。

私の読んだ自殺事典の中には、自分でギロチン台を作り自殺した人物もいたような事が載っていた。私の住む国ではギロチンや斬首による死刑は望めないが、他の国に行けばそういう処刑をされる人間もまだ存在する。あるいは自動車事故で首が飛ぶかもしれないし、生きている限り自分がどういう死に方をするのかはまだ謎だ。

私は、自分が斬首により絶命したいわけではないのだと思うが、ある種の憧れがあることだけは確かだ。


補足:調べてみたところ、母の所有していたレコードは千趣会のミュージックレインボーの第四巻、フラワーガーデンコンサート内の井上宗和さんによるコラム、王城秘話の中にありました。このシリーズは写真が綺麗で何度もよみかえしました。確か実家に全巻そろっていたはずなので、断捨離の犠牲になっていないことを祈ります。
ちなみに小学生の頃大好きで何度も繰り返し読んだ本は、さとうまきこさんのレベル21。本当にアンジュさんのお店がどこかにあるんじゃないかと、探して歩きました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?