見出し画像

見えない自分との闘い。


こんにちは。まみらです。






今日も今日とて卒論Day。

昨日ゼミの先生の渡された分厚い辞書の部分をまだ読み終えていない&卒論の本文に組み込めていないということで、

今日は10時くらいから大学に来て卒論やっております。


キリのいいところまで卒論やったので、

今は気分転換って意味でnoteを書いています👩‍💻


noteもパソコンで打ち込んでいるから、

ブルーライトメガネをしていてもブルーライト大量吸収で目の疲れは深刻なものなんだけど、

卒論より考えないというか、

自分の感じたことをそのまま綴っていける…そんなnoteがいかに楽なツールなのだろうかって感じています。


noteのような気軽さがあったら誰も卒論で悩まないけど。笑

(卒論は「この書き方でいいのだろうか…」の自問自答の繰り返しだから)






いやあああああああああ。

それにしても卒論きついーーーーー。


同じ姿勢でただただ文字を打ち込む時間がずっと続いていて、

正直頭がおかしくなりそう💦


事前に書き出していた参考文献の書き起こしたものと照らし合わせて卒論の本文を書いているんだけど、

たまに行数を誤って同じ所の文章を書いていたり、

誤字に気付かないままタイピングしていて「あれ?誤字」って思った箇所が、”hフォ” みたいな感じになっているから、

謎にぺこぱ口調になっていたり。


ぺこぱ口調になっていたら「やっちゃった💦笑」ってくすっと笑えるはずなのに、そんな笑う余裕もありません。




正直自分にとっては、

去年他大学とのゼミ発表会があった時に、

そのときの半年にわたる発表に向けてのグループでの準備もなかなか大変で精神的にやられてしまっていたけれど、

今回はそれ以上にしんどい。。。


グループのようなチームワーク的なことは考えなくていいし、

自分のペースで進めていけばいいから、

本来は卒論のほうが楽なはずなのに…。


見えないトンネルを歩いている気分。

見えないトンネル歩いている気分だから頭の中はパニック状態。

すごくすごく苦しいです。


今まで感じたことないタイプの苦しさです。

まあ当たり前だよね。

今まで論文というものを書いたことがないんだもん。




そんな "卒論" と私は闘っています。

ここでは、戦(いくさ)って意味の戦うではなく、

あえて ”闘う(たたかう)” を使っています。


理由は ”戦う(たたかう)”って意味だと、

どうしても戦争っぽいイメージになってしまうから。


卒論って戦争じゃない。

自分が大学生活で学んできたことを論文という形で残すものだから。

そういう意味で ”闘う” って漢字を使っています。


「論文は研究のひとつであり、社会に寄与されるもの。」

ゼミの先生が前期の最初の授業の時に言った言葉で、

私はこの言葉がすごく印象に残りました。

その上で、肩書きは ”学生” であっても、いち研究者って気持ちで論文を書いてってことを言っていました。


"卒論 ” という ”自分との闘い”をもっと楽しめるようにというか、

「かかってこい!私は闘う!」って気持ちになれたらな💭


今の自分にはまだそんな気持ちにはなれそうにないけど、

来週あたりにそんな気持ちになれたらいいな。


そのタイミングはきっと、

見えないトンネルを歩いている中で微かに光が見える瞬間 

なのかなと🤔




さてと!

卒論に戻ります。


画像1


分厚い辞書2冊とともに。笑


来週あたりって言いながら、

今日微かな光が見えたらラッキーだなって気持ちで✨






では、また明日〜!



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?