「理想」中毒と自己認識
354日目。
昨日、noteの最後に
「自分に厳しくする、という傲慢からは卒業するんだわん!」
って書きました。
自分に厳しくする、って…。
わたしの場合は、ですけれど、
自分はポンコツだ
↓
だから人並みになれるように、みんなみたいにできるように、理想の状態に近づけるように、とにかくがんばらなくちゃ
という思考の流れ、なのです。
けれど、これって、とても傲慢だな、と思ったのです。
「自分はポンコツだから、がんばってみんなみたいにできるようにならなくちゃ」というのは、言い方を変えれば「自分はがんばれば人並みになれる」ということかな、と。
いやいやいや…。
がんばったところで、人並みにできないこと、たーくさんあるなぁ、って。
これ、決して自己卑下で言っているわけではないんです。
いい意味であきらめてる。
けれど、開き直って「あーどうせできませんよー、ふーんだ」ってやけになっているわけでもない。
自己卑下でも、ひねくれた開き直りでもなく、
ただただ、
できないんだな。
って、そのままの自分を見ている。
そのままの自分に気づいている。
自分に厳しくしているというのは、ありもしない理想を追いかけている状態でもあって(わたしの場合は)、それって、なんというか、一種のトランス状態でもあったなぁ、と。
「正しさ」や「理想」に中毒しちゃってる。
「正しさ」や「理想」を追い求めずにはいられない。
だって、そうすれば、わたしも人並みになれるはず。
価値ある人間になれるはず。
そうしたら、ここにいてもいいんだよね。
愛されるんだよね。
受け入れてもらえるんだよね。
という感じで、文字通り、かぎかっこつきの「正しさ」や「理想」を追い求めるっていう麻薬をキメちゃってるわけです。
(おぉ、こわい…。)
そして、トランス状態だから、そのままの自分を捉えることなんて、できないわけです。
(おぉぉ、こわいこわい…。)
いつも見ているのは、
「そのままの自分」じゃなくて、
「正しい自分」「理想の自分」と「そうなれない自分」とのギャップばかり。
(おぉぉぉぉ、こわいこわい…。)
長いこと、「正しさ」「理想」を追い求めるっていう麻薬をキメちゃってきてたので、うっかりするとすぐにトランス状態に戻ってしまいかねません。
けれど、トランス状態から醒めて、そのままの自分をただ見る。
これって…。
ほんとうの自分を知るという「自己認識」なんですよね。
先日読んでいた『新装版 問題は解決するな』で著者のKan.さんが「ただ見る」と言っていたことも、同じことを言っているように思うし、
由井寅子さんの言葉をお借りしていうなら、
「人生は負けるためにある」ということだし、
たにもとゆきさんの言葉をお借りしていうなら、
「自分に降参すること以外、人生でやるべきことはない」ということなのだと思います。
自分を知って、自分を明け渡していく。
いろんな方が、いろんな言葉で、「自己認識」のことを伝えてくれているのだなぁ、と思います。
*****
ライティング・ライフ・プロジェクト第8期、受付終了いたしました。
ありがとうございました。
「話す」ことで、もっと自分自身を知っていくための対話の時間です。
サポート頂けると、とってもうれしいです💖 誰かに言葉を贈ること、誰かを言葉で祝福することが、わたしにとって、とても楽しく喜びを感じる瞬間です。頂いたサポートは、ぐるぐると循環させて、生きたエネルギーとして、また別の誰かに、何かに、お返ししたいと思っています。