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成果、行動、達成という文脈から遠く離れて

385日目。

あいざわともこさんのnoteを読んで、こころの底から慰められた。

ただ、その間現実的な成果、行動がなかったとしても、
わたしはわりと真摯に生きていたから、
(人から見たらそうは見えなくても)
「なんかそういうふうに言い切るのは違う」
と思った。

ハッとした。

わたしは無意識に自分を責めていた、ということに気づいた。

我が家は夫婦ともにフリーランス。

ありがたいことにお仕事をいただける機会もあるけれど、まだまだ軌道に乗っているとは言い難い現実。

そのうえ、何をするにも初めてのことばかり!って状態が続いて、約3年経って…。

わたしは、正直疲れていた、と思う。

そして、たいして成果も出ていないのに、やや息切れしてしまっている自分に焦っていたし、そんな自分を責めていたとも思う。

けれど、ともこさんの

現実的な成果、行動がなかったとしても、
わたしはわりと真摯に生きていたから、
(人から見たらそうは見えなくても)

という言葉を読んで、

あぁ、そうだ、現実的な成果や行動が見えなくたって、人から見たら何にも為していないように見える冬のような時期だって、わたしは真摯に生きてきたじゃないか、って。
そんなふうに自分をちゃんと認めてあげていいんだ、って。
そう思った。

*

「わたしはわりと真摯に生きていたから」という言葉は、ともこさんから発せられた言葉だからこそ、わたしの胸に響いてきたのだと思う。

ともこさんと直接お会いしたことはないけれど、zoomの画面越しからでも、ともこさんの繊細さや、自分に誠実に正直に生きている姿、みたいなものをわたしは感じとっている。

ともこさんの「わたしはわりと真摯に生きていたから」という言葉には、毎瞬毎瞬、真摯に生きてきたともこさんのエッセンスが、幾重にも重なり合って、ぎゅっと濃縮されている。

だから、ともこさんにしか纏えない説得力、というか、オーラのようなものがあるのだと思った。

そんな言葉に出会えて、幸せだったし、こころから癒された。

成果、行動、達成という文脈から遠く離れていたって、わたしたちは堂々と、真摯に生きてます、ってちいさくとも胸を張って生きていればいいよね。

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ライティング・ライフ・プロジェクト第8期、受付終了いたしました。
ありがとうございました。

「話す」ことで、もっと自分自身を知っていくための対話の時間です。





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