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紡がれた言葉からわたしはなにを読んでいるのか

330日目。

ライティング・ライフ・プロジェクトでは、参加メンバーの方が書いた文章を、ファシリテーターであるわたしは受け取って、読んで、お返事をするのだけれど、わたしは読むのにすごく時間をかけている。

時間をかけている、というか、かかってしまう。

毎回いろいろ試行錯誤するけれど、どうしても早く読めない。

他のファシリテーターの皆さんは、どんなふうに参加メンバーの方から届く文章を読んでいるのかな?
今度チャンスがあったら、どなたかに尋ねてみよう。

「文章を読む」という行為をどんなふうにしているのか?なんて、今まで言語化したことがない。
ましてや、それを誰かに話したこともない。

けれども、今日はそれをやってみたい。

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わたしは、参加メンバーの方の文章を受け取って、まず、読んでいる。
当たり前だけれど、日本語として、言葉の意味をまず捉えている。

ライティング・ライフ・プロジェクトは、書くことを通じて、自分と向き合う。
だから、人生の中で起こった大きな出来事を書いてくださる方も多い。

それを読むたびに、わたしは、感謝と尊敬の気持ちでいっぱいになる。

その方が、この文章を書くにあたって、どれだけ自分と向き合ったかがひしひしと伝わってくるし、それをわたしに送って下さることも、読ませて頂いていることにも、尊さを感じる。
だって、そのことを人に話せるようになるまでに、どれだけの葛藤や時間が必要だったか、と思うと、胸がいっぱいになる。

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と、ここまでのわたしは、自分の中に備わっている「魚座的共感力」を使って、文章を読んでいる。のだと思う。

このとき、自分の中で起こる「共感の波」みたいなものがあるのだけれど、それがぜーんぶすっかり落ち着くことを、わたしはゆっくり待っているのだと思う。

その波が落ち着いて、ゼロになって、凪になって、透明になって、クリアになるまで、わたしはじっと待っている。

魚座的共感力を使って感じたことや湧いてきた思いは、一旦すべて捨ててしまう。

捨ててしまうと、ふと、別な次元に入ったかのように、その方が書いてこられた文章が、さっきまでとはちがう輝きを持って見えてくる瞬間がある。

この状態になってはじめて、わたしはお返事を書き始めている。

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「共感」するって、ものすごく大事だ。
「共感」によって癒やされるものがあるし、幸運にも、わたし自身もそういう経験をたくさんしてきた。
共感的に話を聞いてもらって、助けられたことが今までたくさんあった。

けれど、「共感」だけではない、「共感」を超えたところにあるものを、わたしは映し出してみたい、と思っているんだな、と気づいた。

その方の本質的な輝き、みたいなもの。

人生の大きな出来事の前でも、けっして失われることのなかった、その人の魂の輝き、みたいなもの。

だから、その方の文章を「読む」ということは、書かれている文字を読むことももちろんだけれど、その方の使った言葉に込められているエネルギーも読んでいるのだと思う。

サイキックの人たちみたいに、目に見えないものからその人の魂の歴史を紐解くようなリーディングはできないけれど、わたしはわたしなりの、まさに「リーディング」をしているのだと思う。

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「読む」ことについて、なんとかかんとか書いてみたけれど…これ…だ、だ、だいじょうぶかな…?

うまく伝えられていない気がする…。

そして、すごく当たり前のことを1400字も使って書いているのでは…?と思うと、なんだかいたたまれない気持ちになる。

きっと多くの人がほぼ毎日作っていて、わざわざレシピなんて調べたこともない、例えば味噌汁のような料理について、「味噌汁ってこんなふうに作ります」っていうことを、1400字も使ってわざわざ説明している文章があったら、「それはわりと多くの人が知っていますし、やっていますよ」と思うんじゃないかな?と思うからだ。

でも、まぁ、自分の未熟さを出してみるのもいいことかな!

最近、あるアーティストの方がTwitterで素敵な言葉を呟いていた。

「未熟であることに乾杯」

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ライティング・ライフ・プロジェクト第8期、受付終了いたしました。
ありがとうございました。

「話す」ことで、もっと自分自身を知っていくための対話の時間です。


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