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小松由佳を生きる:自分の生命を使い切ること

高橋源一郎の飛ぶ教室というラジオが好きで、朝ランニングしながら聞いている。ある日のゲストで登場した小松由佳さん。日本人女性として始めてK2に登頂しながら、山を降り、フォトグラファーとなり、シリア人男性と2人の息子と日本で暮らす彼女。コロナで仕事が激減して、子連れでウーバーイーツ?のような食品の配達をしていると聞いて、ハートが撃ち抜かれた。「この人は自分を生きている!」

K2登頂で見えた景色:生命の尊さ

標高8,611メートル「世界で最も困難な山」と称され、映画にもなったK2。登頂率の低さは群を抜いていて、命を落とす人も多いその山の頂きに、日本人女性として初めて立った小松さん。仲間が待つベースキャンプに戻る中、8,200メートル地点の氷の斜面でビバークを余儀なくされ、バディと生と死の狭間を行き来する。一晩を超え、顔を照らした朝日が「立ちなさい」「生きて還りなさい」とささやいたように思えたという。その太陽はどれだけ美しかったことだろうか。文字を追うだけでなぜか目頭が熱くなる。そして、仲間の元へ足を進めた時に湧き上がってきた感情。

心の奥深くから強い感情が湧き上がってきた。それは、ただここに存在して生きていることの尊さ、と言えようか。人は何かを成し遂げたり、何かを残さなくとも、ただそこに生きていることがすでに特別で、尊いのだ、という実感だった。  小松由佳「人間の土地へ」p.26

山を降りて、人の生命の営みの中へ

K2に挑戦する過程で「自然の厳しさを豊かさのなかで、祈りと感謝をもって生きる」ポーターの姿に心惹かれ、「山の頂から麓の風土」へと小松さんの関心は移った。ここまで登山家として成功しながら、なぜ山を降りるのだろう?普通はそう思う。でも、小松さんは登山の中で磨かれてきた自分の「直感」「違和感」から目を背けることができず、それが呼ぶほうへと足を進めた。

カメラマンとしてシリアの砂漠に向かう。それは、砂漠が人間が生きる場所として条件が厳しいところだから。登頂が最も難しい山と生きることが厳しい砂漠。やっていることが遠いようでいて、でも、「生きる」ことが苛烈なというか切実な場所にやはり身を置くんだ。

砂漠を歩き、空を見上げると、地球を自分の内側に感じることがあった。確かにこの星の上に生きているとく感覚。それはヒマラヤの山での感覚にとてもよく似ていた。       小松由佳「人間の土地へ」p.49

内戦、難民、結婚、日本へ

アラビア語に「ラーハ」というゆとり、休息を表す言葉があるという。「家族や友人と過ごす穏やかな団欒の時間」のことを指し、良い人生とは「ラーハ」をたくさん持つこと言われるらしい。小松さんの写真や文章から感じられるこの「ラーハ」の時間の風景は本当に美しい。何かを成し遂げなくてもただただ尊い人間の姿がそこに見えるようだ。

シリアで偶然出会った家族の息子ラドワンと恋に落ち、シリアとの関わりが深くなる中で、内戦が勃発。共に「ラーハ」を過ごした仲間が社会情勢に飲み込まれて行く中、小松さんはシリアに大切な家族を持つものとして、フォトグラファーとして、危険な場所に残る。どうやら、小松さんには人間が生きることが厳しいところへの出会いが用意されているようだ。その中でも人は生き続ける。そして、内戦下で難民となったラドワンと小松さんは結婚する。

ラドワンと生きるなら、一生苦労が絶えないだろう。だが、それでも良かった。むしろ、予測不可能な苦労がつきまとうことに痺れるような喜びを感じた。それは未知の山へ、新しい一本の道を拓くような純然たる思いだった。ラドワンはまさに、私にとってヒマラヤの峰のような存在だったのだ。      小松由佳「人間の土地へ」p.157

一時はアラブで暮らした2人だったが、日本で生きることを選び、今は2人の息子と4人で生活している。”アラブ人””イスラム教徒”というとテロリストが連想されかねないこの場所で、ラドワンと生きることで浮き上がるように見えてくる新しい世界。文化の違いの相容れなさに出会ったり、勘当された父親との再会で、父親に変化が見られたり。そして、それは小松さんの家庭の中でも起こる。アラブ人の価値観から、共働きの中、家事や育児にノータッチのラドワン。私が聞いたラジオの収録にも2人の子供を連れていたし、フォトグラファーとしての撮影現場や、アルバイトの食品の配達にも連れて行く。いくら文化の違いがあるとは言え、ひどくないか?そんな声が聞こえそうだ。

"郷に入れば郷に従え"という言葉を私たちの価値観にすぎない。世界には郷に入っても、郷に従わないことを良しとする人々がいるのだ。                                                                                      小松由佳「人間の土地へ」p.243

人間の土地へ:直感にしたがって生命を生き切る

「困難だから避ける、解消する」そんな言葉は、小松さんの生き方にはないようだ。登山家としての道を降り、砂漠へ向かい、内戦下で難民の男性と結婚し、日本で暮らす。なぜ、そんな大変なことばかり?と見える部分もあるだろう。でも、小松さんの言葉を感じていくと、とても自然な道がそこにあるような気がする。登山で磨かれた直感に従い、湧き上がって来たものを大切にし、「困難かどうか」や損得ではなく、目の前に現れたものを受け取り、味わい、感じて行く。ただただそれをしていることが今の小松さんを作り、これからの小松さんを作って行くのだろうと思う。

私は歩き続ける。ヒマラヤから砂漠へ。難民の土地へ。そしてまだ見ぬ、人間の土地へ。 小松由佳「人間の土地へ」p.247

小松さんが歩き続ける風景の中で出会うものを見たい。そして、私も歩き続けて行くんだ。

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