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【ここに来るまで】1995年 ニュージーランドで長男誕生時に臍の緒を切った経験:終わりと始まり

このシリーズでは、公立高校の英語教員だった僕が、日本語教育と出会い、ニュージーランドの大学教員トップ10の一人として表彰されるまでの歩みを書いていきます。(教員になった当時はこんな展開になるとは夢にも思わなかったんですよね)

1994年8月:文部省(当時)のプログラム「外国教育施設日本語指導教員派遣事業」により日本語指導教員としてニュージーランドの北島にあるハミルトン市の高校に約2年派遣されました。

派遣についての記事はこちら。

🌈 1995年7月:長男が誕生

外国での出産ということで言語と出産までのプロセスに不安もありました。しかし、ニュージーランドの教員生活では妻との時間が十分に取れ、一緒にマタニティクラスに参加することもできました。友人がベイビーシャワーのパーティーを開いてくれたことも大切な思い出です。

🌈 出産時は 医師のみ、助産婦のみ、 医師と助産婦などの選択肢あり

日本での出産に関する経験がなかったので比較をすることが難しいのですが、僕たちは助産婦がメイン、しかし、出産は病院で医師も立ち会うという選択をしました。

かかりつけの医師が出産に立ち会ってくれたのですが、普段着にサンダルで分娩室に入りとてもカジュアルでした。

僕も立ち会いましたが、白衣を着ることもなく、普段着のまま立ち会いました。

🌈臍の緒を切る

立ち合い出産時の選択肢に臍の緒を切るというものがあり、それを選択したいたので、出産直後、ハサミを渡され、臍の緒を切りました。(日本では医療行為なので原則として医療者しかできないと思います)

母体とつながっている臍の緒を見るのも初めてでしたし、臍の緒を切ることについてはイメージが全くなく戸惑いました。臍の緒は思ったより太く、一度では切れずに2度目に力を入れて切ることができました。

それは母体との直接的なつながりの終わりであり、自分の体のみで生きていくことの始まり。

誕生の瞬間に立ち会えたこと、母と子を繋ぐ臍の緒を切るという体験を通して出産に関われたことは、今でも僕の宝物の経験です。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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