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日本美適進化論:生き方のセンスアップ

わたしはプライベートについてはまったく褒められたものではありませんが、その痛い部分も含めてこれが丸ごと自分なのだと納得できたことで肩の力がスッと抜けました。人生の大半は、環境と思考の刷込みで選択肢がほぼ決まるのだと気付いたのも、ほんの数年前です。素晴らしい理念を持つ大手企業に在籍中は、人生の中でも清い視点でキャリアを積むことが出来ました。しかし起業してからというもの、守られていた性善説からの脱却にかなり時間がかかりました。有象無象の世の中で、相手の欲望の先がどこに向かっているのかを判断する経験は、してみないと分かりません。猜疑心に囚われた時間も多かったように思います。人との出逢いは必然と思う反面、仕事のパートナーは友人関係とは全く別ものと捉えなければ事業は継続できないことも身に染みて経験しました。相手の能力に関心を持ちマーケットを良く理解することで、事業とのマッチングが密になる。さらに周囲と比較することなく事業を差別化することで、より自社のビジョンが明確になり、仕事の進め方も人生の質もセンスアップすると実感しています。そう多くはない大切なことを見極めて実践する人の生き方は潔い。結局、感性が合う人を引き寄せるのも実力ですね。

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今まで若干の息苦しさを感じていたのは、漠然としたコンピテンシーのようなものが自分の意識の中にまだ残っていたことが原因かも知れません。例えばその動機が周囲から注目されたいなどの自己顕示欲求だとすると、自分の純粋な感性にフィルターをかけているようなもので、コンテンツの純度を濁らせていることもあるのでしょう。いま振り返ると、そのフィルターを自分にも相手にも感じると、どうしても一歩足が出ない、その選択が世間には「安心・安全」なラインだと頭で理解しているくせに、先が見えてしまうことが選べない。そのこだわりの強さは、今までそうした修行を積んだことへの本能的な反発なのかも知れません。結局、人生は「こうなりたい」という明確な目的を探すために、どうしても「そっちには行きたくない」という選択を重ねながら削ぎ落していくものだと感じています。

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生き方のセンス(感性)とは、前に進むポジティブな目的と、そっちへは絶対に行きたくないネガティブと思われがちな危機意識の両輪を持ったうえで、それを俯瞰できるバランス感覚。その差異は経験することで、深みが増して言葉や表現に説得力と伝わる何かが付加されます。確かに、やんちゃをしていてもカッコイイ人と、頑張っているのに目を背けたくなる人の違いは、経験値の多さによる客観性が身に付いているかどうかですね。失敗も成功も通過点でしかないと捉えられる器の大きさを持ちたいです。



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