都会の片隅で、わたしと彼女は孤独を埋めあった。
あの日。猫を飼うことを決め、引取りにいく前日。
私はトイレでひとり、激しくむせび泣いていた。
自分のなかに収めきらない感情があふれてくる。
ーあの子を本気で愛せるのか。
ー最後まで目をそらさず、責任をもって看取ることができるのか。
ー必ず訪れる別れに、私は耐えられるだろうか。
いつかの別れのぶんまで、ひとしきり涙した。
なにかの儀式のように、猫を飼う決意を固めたのだった。
そうして、満月の日にやってきた「むぅ」は、さみしげな瞳をした神秘的な猫だった。
彼女ははじめ、警戒心をあらわにしていたものの、すぐに状況を理解したようだった。
「どうやらこの人間は、私に安心な場所とごはんを提供してくれるらしい」
私が信頼できると判断したのか、その日の夜は私のお腹のうえで眠ってくれた。
都会の片隅の箱のような家で、私と彼女は孤独を埋めあった。
すべてを失った離婚後、人生はじめての一人暮らしにより、底知れない孤独と虚無感に蝕まれてしまいそうだった私は、彼女のふわふわの毛や肉球に触れ一緒に眠ることで、誰かに必要とされる幸せをふたたび感じることができた。
彼女が初日にみせた乾いた瞳とさみしげな表情は、あっさり数日で「愛され顔」(いわゆる家猫の顔)に変化した。
むぅは、野良猫とは思えないほど美しく、賢く、色気と気品があり、プライドが高く、自己主張が激しい猫だった。
(擬人化するとしたら銀座のクラブNO.1のいい女、といったところか)
私たちはよく遊び、よく喧嘩をした。
私が猫のようにむぅのしっぽにじゃれて遊んでいると、パタパタとしっぽを振って満足気にほほえむ。
私が仕事でパソコンに向かっていると、目の前をなんども横切る。
構ってもらえないとわかると、キーボードの上に座る。それでも駄目だとわかると、しびれを切らし
「にゃああああああ!(遊んでっていってるじゃないー!怒)」
と鳴きながら私の肩の上に盛大にジャンプしてくる始末。
また、「なでるがよい」とお腹を出して横たわるので撫でてみれば、「なで方が気に食わない」とものの数秒で怒り出す。
「もー!なんなのよっ」とこっちも応戦すると、「にゃ!(怒)」と言い返してくる。
あがーっと、終いには首に噛み付いてくるので「いたーい!もうむぅちゃん、やだ!」と私が半泣きで降参すると
「にゃぁ・・・?」
と私の顔を心配そうに覗き込み、反省してみせるのだった。
同レベルで喧嘩するなんて…一体、どっちが人間でどっちが猫なのか…という具合だった。(お恥ずかしい)
こうして書いていると飼い主が散々な目にあっているようにみえるけれど、昼間は強気で私を見下すくせに、夜になると態度は一転し、ふとんに入ってきて思う存分甘えてくるのだから、猫ってずるいものだ。
それに、濃密な時間を共にしていたからか、意思が通じていた感覚があった。
私の心の痛みに敏感で、私がわあわあ大泣きしていると「にゃぁ…?にゃぁ…?」と心配してずっとそばに寄り添ってくれることもあった。
抱きしめてふわふわの胸気に顔を埋めるなんてことは、普段はぜったい嫌がるくせに、
そのときばかりは、猫としてのお役目かなにかのようにジッとして、私の心が柔らかくしなやかに戻るまでそうしてくれるのだった。
この世界にたった一人で生きてるような孤独感に蝕まれたとき、
この世界に私の味方なんかいなんじゃないかと悲観的になってるとき、
むぅだけは、いつもいつでも、黙ってそばにいてくれた。
そうして、都会の片隅の箱のような家で、泣いて笑って、喧嘩して。
一人と一匹は、お互いにとって特別な存在になっていった。
ひとりぼっちだった私に、新しい家族ができた気がした。
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