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つらいときは、書く、描く、話す、のアウトプットを。

急に目醒めたようにこうしてnoteをまた書き始めて、取り留めのない自分の過去までぐわーっと打ち込んで(笑)、心の中のドロッドロな感情も全て吐き出す勢いなのだけど。

なんだかそれが、今の自分にとってとても大きなデトックス効果というか…
少しずつ闇抜けしていくような、頭と心に散らばったままの細かなガラスの破片を集めては掃除しているような、そんな感覚にとても似ている。

ちょっとずつ動き出せているこの数日間は、
大きな宇宙的影響なのか。
いろんなキーワードが目から耳から次々と入って来て、
偶然なのか、必然なのか、どちらにしても、
何かしらのメッセージに思えて仕方がない。

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◆ めんどうくさい自分の飼い慣らし方

小さい頃からずっとうまく生きられなくて、
父がいなくなってからの自分は
家にすら居心地の悪さを感じていたし
形ばかりの母親と、助けてはくれない大人たちに
諦めと絶望を抱いて生きて来た。

楽しかったこともそりゃあ、あるけど
振り返る過去には辛くてしんどいことの方が圧倒的に多い。

どうやっていつも乗り越えて来たかな…と考えたとき、
思い返すと自分なりにいつも

  • ノートの後ろのほうに文章で書き殴っていたり

  • チラシの裏側にひたすら絵を描いてみたり、

  • 河原まで歩いて行っては思い切り歌ったり、

  • 夜には庭で空に向かって星や月に話しかけたり(怖っ、、、)

ネットが主流になって来た20代後半ごろからはチャットやら
自分で作ったサイトにウェブリング(懐かしい!)っていうのを貼り付けて闇も病みをも丸ごと、発信していたり。

それがミクシィに移行し、Twitterに移行し、インスタに派生し、
でも結局ネットの世界の人間関係に疲れ、全部削除し・・・

何故かずっとスクラップアンドビルドを繰り返している。笑


◆ 自分をとことん掘り下げる


小・中学生の頃は、漫画家にもなりたいような気持ちがあって
『りぼん』や『なかよし』のほわっとした少女漫画にも憧れたけど、
ちょうど不安定そのものだったその頃のわたしが心を鷲掴みにされたのは「紡木たく」さんの漫画だった。
湘南を舞台にした短編のものから、代表作のホットロード。

ちょっと大人っぽくて、ちょっぴり不良な感じで、
背伸びしたかった自分には作風も画風も惹きつけられて仕方がなく。

あの透明感のある絵を真似して、
同人誌に何作か描いて載せてもらったっけ。

そのときも、心で消化しきれないモヤモヤしたものや憤り、
思うように進めないもどかしさも、
内緒で心に抱いてたさまざまな憧れも、
全部その中に詰め込んで夜通し描き続けた記憶。
それこそ、自分の全てを昇華させる勢いで、
漫画家にでもなったつもりで必死に描いていたなぁ…と
今でもほんとうに懐かしく思い出す。

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絵はもともと幼少期から好きで、ずっと何かしら描いていたし、父がいなくなってからは母との連絡帳には絵で伝えたいことを描いたりもした。
教科書は落書きだらけだったし、お決まりのパラパラ漫画制作はつまらない授業中の密かな楽しみでもあった。

絵を描くだけでなく、文章を書くことも自分にとっては外側に吐き出す、大切な役割を持っていて、ノートに書き殴る、鍵付きの日記に小説を書いてみたり、嫌なことがあった日のストレス発散の役割から夢物語まで、とにかく『書く』ことと『描く』ことは生きていく上で欠かせない手段だったんだなぁ、と今も改めて思う。

それに、そうした日頃の訓練?鍛錬?の賜物だったのか、
作文や読書感想文のコンクール、絵画のコンテストなどは結構な頻度で入賞してきたという小ちゃな自己満足もあったりする。

本当の自分とほんのちょっとの嘘というフィクションを織り交ぜたもので書いたり、描いたりする表現の世界が、唯一、わたしを今まで救ってきてくれた方法だったんだとつくづく実感している。

かいているうちにそのとき置かれているしんどい状況を俯瞰して外側から冷静に客観視できたり、ごちゃごちゃしている思考を少しずつ整理できたり…
無意識に『書く』・『描く』という行動で心の落ち着きを取り戻していたんだろうなぁ、と思う。


◆ それでも潰れそうなときは。


『かくこと』は得意で自分をそれで救ってきた部分が大きいけれど、悩みの部分での『話すこと』はいつからかとても苦手なものになっていた。

『話す』『相談する』って、自分以外の人の時間を奪ってしまうから。

やはり、小さい頃から人付き合いが苦手で、
母にさえも悩みなどを打ち明けられる状況になかったからかな。
癖のようなものなのかもしれない。
特に『助けて』を言えなくなってしまっている。
それは、50歳になった今でもそう。
極限まで、自分で何とかしようとしても、
どうにもならない限界になるまで言えない。

変な話、生きるか・死ぬか、の状況になってもまだ言えないこともある。

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そんなわたしでも、12〜13年ほど前には極限を超えて酷い状態になって
『誰か、聞いて!!!お願い・・・』
という必死だった時期があった。

高校生のときから数年間受け続けた性被害の記憶を突然、
フラッシュバックしてしまった頃。
(このことはとても長くなるので、また改めてこれからゆっくりnoteに書いていこうと思う。)

それまでよりも強い希死念慮で起き上がれないほどの虚無感…
誰にも言えない、やっとの思いで当時の話を打ち明けた母には詰られ、責められ、「お前が悪い!!!」と断罪され、真っ黒な絶望の暗闇に突き落とされた、あの頃。

当時の僅かな繋がりを手繰り寄せて、まだその頃は友人だった人たちに助けを求めるも「もう過ぎたことをクヨクヨしてもしょうがない。忘れるのが一番だよ!」と、わかっちゃいるけどそうできない苦しさを理解すらしてもらえない絶望感。

握り締めたiPhoneで『死にたい』『消えたい』『どうしたら良い?』・・・
終わりのない苦しみをキーワードで検索して辿り着いた[いのちの電話]。

かけども、かけども、繋がらない。
昼夜問わず、狂ったように0120から始まる番号を連打した。
履歴が全て『いのちの電話』で埋まるほど、何十回・何百回とかけ続けた。
ほんとうに、繋がらなくて泣き喚いたほどだった。

でも、苦しくて、死ねなくて、何度も何度も、何度も何度もかけ続け、
やっと繋がったときには、とにかく思いの丈をぶちまけて脱力し、
あまりの安堵に数日間眠りこけてしまったほどで。
何度もそんなことを繰り返すうちに少しずつ自分の中でも心の整理が付いていくのがわかって、いろんなキッカケを与えてもらった。
毎日、寝ずにかけ続けて、ほんとうにお世話になったこと、今改めてとても有り難かったなぁ、と思い出す。

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中には話半分にしか聞いてくれていないな…というような人も確かにいた。
逆ギレして『じゃあ、好きにすれば?』と言う人もいたし(笑)、
『はい、もう45分経ったのでもうそろそろ切りますね。』とハッキリ区切られてしまうこともしばしばだった。
皆さん、ボランティアでやってくださっているので仕方のないこと。
でも疲れるよね、重たい話をずっと聞かされてばかりだろうし。

その中でも、わたしの問いに丁寧に答えてくれた相談員さんがいた。

● なかなか繋がらないけど、繋がるまで何度もダイアルすることが[生きる]に繋がっていると気付ける、一つの行動でもあるんですよ。
あなたはかけ続けたでしょう?生きたいって自分を信じてください。

● 30分〜45分間で一度、区切ることが必要なんです。
それだけ話し続けると、脳がとても疲れます。
もっと聞いて欲しいだろうけど、もっと聞いてあげたいけれど、
一度そこで区切ることで一旦、興奮している脳をしっかりと休めて、そこまでの思考を整理することに繋げてほしいし、ここまで話せた自分を褒めてあげてほしい。

● 相談員とはいえ、中にはどうしても疲弊して迷い始める人もいます。
ボランティアだからこそ、何が正解なのかわからなくて苦しさを感じ、しんどくなるときもあります。
同じ、人間なので、そういうときは勇気を出して電話を切ってください。

「でもまた、いつでも辛くなったらかけてくださいね。」
「この後はとにかくゆっくり睡眠をとってくださいね。」

もっと、いろいろなことを説明してくれたり、
こちらの悩みを聞きながら適切な窓口を調べて案内してくれたり、
本当にたくさんの相談員さんにあの当時は支えられて生きたよな…と思う。


◆ 自分ひとりで器用にならないで。


また今回も自分のことばかり書いてるけど、
これも自己昇華のひとつなので打ち込めるだけキーを叩いている。


文章で『書く』こと、
絵を『描く』こと、
誰かに『話す』こと、

全てがアウトプットだけど、
わたしは人に関わる『話す』がとても億劫で苦手。
というより遠慮してしまうという表現が正しい。

でも、『話す』って自分の解放に直結しているから
本当にしんどい時や苦しくて辛くて仕方がないときには、
電話でも聞いてもらえるとすごく心が軽くなると思う。

親や友だちなどの近しい間柄ではなかなか話せないことも、
傾聴してくれる相談員さんなら話せるんじゃないかと思う。

身近にそういう人がいてくれるのが一番だけど、
皆んなが皆んな、そうではないことをわたしは知ってる。
言えないことほどひとりで抱え込んでしまうことも。


世知辛い世の中だからこそ、我慢も当たり前になっている。
誰にも頼れずに苦しい気持ちを押し殺してやっと息をしている人がこの世の中にどれだけ多く存在していることか。

わたしも今、心理カウンセラーの資格取得に向けて勉強している。
いつか誰かの心に寄り添える人間になれるよう。
自分の経験してきたあらゆる苦難を、無かったことには出来ないんだから。
せめてその負の経験を生かせるように残りの時間を精一杯使いたい。
苦しくて、つらくて、しんどくて、ひとりで彷徨う心細さは、誰よりも知ってるわたしだから。

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今日はここに、
少しでも繋がれたらという気持ちで
相談できる窓口を記載していきます。

相談員の皆さんに心からの感謝を込めて・・・


ココトモ


#いのちSOS

(特定非営利活動法人 自殺対策支援センターライフリンク)


よりそいホットライン

(一般社団法人 社会的包摂サポートセンター)


いのちの電話

(一般社団法人 日本いのちの電話連盟)


繋がらなくても、何度も、何度も、かけてください。
そこに[生きる意味]が絶対にあります。


拙文最後までお読みいただきありがとうございます。


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