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おとうさんの大きなかさ

「行ってきまーす!」
 ぼくは、いきおいよく、家を出た。お父さんの、大きな黒いかさを持って。だって、お父さんのかさは、持つところが、刀みたいで、かっこいいんだもん。れきし好きなお父さんが、つうはんで、買ったものだ。
 外は、くもり空。ぼくは、刀のかさをふりかざした。
「えいっ! やぁ!」
 チャンバラも、一人では、つまらない。ぼくは、かさをさしてみた。
 大きな黒いかさにつつまれて、ぼくは映画館にいるような気持ちになった。
 かさの黒いやみを、見つめていると、ブラックホールみたいで、すいこまれそうだ。
 そのとき、そのかさのやみに、すぅーっと光があたった。ぼくは、ふしぎな気持ちで、その光を見つめた。
 光は白く四角くなり、ほんとうに小さな映画の、スクリーンみたいになった。そして、そのスクリーンにお父さんのすがたが、うつしだされた。
 ぼくはびっくりして、そのまま近くにあった、石だんにすわりこんでしまった。
 かさのスクリーンの、上映はつづいた。
 お父さんは、ピンク色の作業着をきている。よく、お母さんが洗っているやつだ。お父さんは、病院ではたらいていているから、それでかな。まわりには、看護師さんや、おじいさんや、おばあさんがいる。
 お父さんは、おじいさんのオムツを、かえてあげている。どっこいしょって、こしをかがめて。お父さんは、いつもうちで、こしが痛いって言ってるのに、大丈夫なのかな。
 お父さんは、うんちや、おしっこが、ついていても、にこにこ笑いながら、オムツをかえてあげていた。おじいさんは、ほっとしたような顔になった。
 こんどは、体の大きな、おじいさんが、あばれている。大きな声を出して、どなりちらしている。鬼のような顔だ。そのおじいさんが、お父さんに向かって、うでをぶんぶんふりながら、なぐりかかろうとした。
「あぶないっ!」
 ぼくはぎゅっと目を閉じた。ぼくの手は、汗でびっしょりだった。
 目を開けると、お父さんは、看護師さんといっしょに、笑っていた。
「たいへんでしたねぇ」
「いえ、なれっこですよ」
 だけど、スクリーンの中の、お父さんは、ちょっと、つかれているみたいだった。
 ぼくは、むねのドキドキが、止まらなかった。このスクリーンは、お父さんの、仕事場を、うつしているのかな。だけど、病院の仕事が、こんなにたいへんだったなんて、知らなかった。
「お父さん……」
 ぼくはかさを閉じた。外は、さっきまでの、くもり空が、うそのように、晴れていた。
 ぼくは、お父さんの、大きなかさを持って、学校までの、道をいそいだ。

 夜、お父さんとお母さんとで、ごはんを食べながら、ぼくは思いきって、お父さんにきいてみた。
「お父さんの、仕事って、たいへん?」
「まぁ、仕事は、なんでも、たいへんだな」
「お父さん、うんちやおしっこのついた、オムツをかえないと、いけないの?」
「ススム、やめなさい。しょくじちゅうよ」
 お母さんから、注意されたけど、ぼくはやめなかった。
「お父さん、大きなおじいさんに、なぐられたの?」
「ススム、なに言っているの?」
 お母さんは、とてもふしぎそうだ。でもお父さんは、じっと考えこんで、こう言ったんだ。
「ススム、ももよちゃんって子は、いい子だな」
「えーっ、なんで、知っているの⁉」
 ももよちゃんは、いつもぼくに、消しゴムを、かしてくれる。でも、ぼくは、お母さんにだって、その話をしたことはない。
「丸山先生は、『さてさて』が、口ぐせみたいだな」
 たしかに、そのとおりだ。でも、この話も、だれにもしたことがない。
 ぼくが、びっくりして、口をあんぐりしていると、お父さんは、にやっと笑って、こう言ったんだ。
「おまえ、今日、お父さんの大きなかさを、持って行ったろう。お父さん、おまえの小さな黄色いかさで、たいへんだったんだぞう」
 ウィンクしてみせるお父さん。
 ぼくが、びっくりして、何も言えないでいると、お父さんは言った。
「ともだち、できるといいな」
 ぼくには、なかなかともだちが、できない。ももよちゃんは、やさしいけど、女の子だ。ぼくがほしいのは、サッカーやドッジボールをやってくれる男のともだちだ。
「ゆうき出して、なかまに入れてって、言ってみろよ」
「うん」
「おたがい、たいへんだな」
 お父さんは、ぼくのかたを、軽くたたいた。
「なに、二人で、ひそひそ話しているのよ」
 お母さんが、ちょっといじけた声を出した。
「男には、外に七人のてきが、いるってことさ」
「そうさ、そうさ」
 お父さんと、ぼくはたがいに、かたをくみあいながら、笑いあった。
 これからも、ときどきお父さんのかさを、持って行ってみよう。お父さんのたいへんさが、わかるもんね。
 そして、これは、いつも外でたたかっている、男どうしのひみつなんだ。

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