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私の未来について考える

もうずっと、これから先の人生を考えている。
実現不可能かもしれない妄想だったり、どうにか出来そうな小さな将来の夢だったり。
12年くらい前から、いろいろと考える続けている。

私もそろそろ、いい歳だ。
去年に父が亡くなり、自分の老いを実感した。自分にはあとどれくらいの猶予があるのだろうかと、父が火葬されようとする様子を見ながら、そんなことをぼんやりと思っていた。

息子たち2人も、子育てや育児という年齢を終え、まぁ最悪、母親が居なくなっても自分たちで、なんとでも出来るくらいの歳になった。次男はまだ未成年なので、母親として全く何もしなくていいという訳にはいかないけれど、親離れは徐々に進んでいる。

息子たちとの関係は、概ね良好だと思っている。そう思っているのは、母親である私だけかも知れないけれど。
男の子だし、女の私には分かりかねる事も多い。なので、接し方も難しく思い悩んだりもするが、基本はあまり近付きすぎずに干渉し過ぎないようにはしている。
それでも、会話も成り立つし、必要な連絡事項も、恙無く出来ている。

今はいい。過不足なく身の丈にあった生活。
だけど、この先は、足りないものがどんどん増えていくと思っている。
息子たちは親元を離れて、いつか新しい家族を作るだろう。それは嬉しく思うし、私が生きているうちに、『孫』と言うものを見ることが出来たらなとも思う。

息子たちが居なくなって残されるのは、面倒なモラハラ夫。
愛情などなく、ベビーシッターと家政婦として、妻である私を飼っているつもりだ。そう思っているということは、夫がはっきりと私に対して口に出して言った。
まぁ、そんな夫に対して、私も愛情などという感情は持ち合わせていないので、お互い様なのだけれど。

そんな夫と二人きりの生活は、想像するだけで背筋が凍る、ちょっとしたサスペンススリラー。考えたくないし、そんな日常はもう勘弁して欲しい。

なので、息子たちが独立した後は、私は『愛』を求め『愛』に生きたい。
もしも、それが可能ならば…。
少しずつ、自分の未来の設計図を描きながら、私の求めている『愛』がどのようなものか考えていこう。まだ、少し時間はある。今の夫の妻と言う役目をおしまいにするまでは。

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