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「選ばなかった未来にいる自分」という他人を生きるのは、もう、やめよう

仕事もプライベートもうまくいかず、落ち込んだ一日。

とことん、とことん落ち込む。なんでもっと、こんな風にできなかったんだろう。今考えたらわかるのに。

そうして考える。どんなに仕事をがんばりたいと思っていても、結局は、時短社員。ワーママ。子が体調不良で保育園を休めば、家庭を優先せざるを得ない。


私はこの先どうやって生きていくか、どうなりたいのか。

選ばなかった方の未来に想いを馳せてばかりだけど、選んだ方の未来にはこの子たちがいて、今はこれでいい、と納得する毎日。




わたしの大好きな小説、ルシア・ベルリンの『掃除婦のための手引き書』の一節を思い出した。

このもしもも、あのもしもも、結局は起こるはずのなかったことだ。

掃除婦のための手引き書』ルシア・ベルリン


そう、わたしは、今の未来を選んだのだ。



子どもを産むまでは、選ばなかった未来を想うことはなかった。
それは、簡単な選択だった。どちらの方に利点があるか、明確だった。選ばなかった方は、圧倒的に不利な方。だから、そんな未来は、いらなかった。

だけど、子どもを産んでからは、選ばなかった方の未来にも可能性があったことを知ってしまった。

28歳で一人目を産んだこと。夫の仕事を優先させたこと。フルタイムで復帰しなかったこと。ベビーシッターの手を借りなかったこと。平日に習い事をいれたこと。33歳で二人目を産んだこと。

選ばなかった未来には、わたしの憧れが、確かにあったのかもしれない。仕事で経験を積んで、誰からも頼られる、頭が切れると思われる、わたし自身も納得がいく職業人生を歩んでいたのかもしれない。


わたしは、子どもは何事にも代えられないと言うつもりはない。子どもがいなくても、充実した生活をしている人を身近にたくさん知っている。

しかし、いま、わたしの目の前には2人の子どもがいる。




ワーママも6年になって、自分の限界が見えてきたというか。

第一子復帰当初は、時短でも活躍するんだ!その一人目になるんだ!と思って仕事をしてきたけど、実際、わたしにはそれは無理だった。実力が足りなかった。

そうして、わたしにあるのは、この子たちがいるという事実だけ。
これがいい、と自信を持っては言えないけど、これでいい、とは思える。


それは、わたしが他人を生きるのを諦めて、ようやく自分を生きる決心がついたということだ。

「あのもしも」「選ばなかった未来」の先にある、憧れの自分。それは、もはやわたしではなく、他人なのだ。

その他人を生きるのをやめよう。わたしは、その他人には、なれなかったのだ。だから、わたしを生きるしかない。今ある事実と、資源を活用していくしかない。

後悔してる?
―――いいや。いいんだ、これで。
だってわたし、あのとき、一生懸命、最善を選んだのだから。


わたしはまだ、諦めきれずに夢を見る。まだやれると信じてる。
今すぐはそうはなれないけど、将来にわたって無理かはわからない。

ただ、「今はこれでいいんだ」と思える程度には、いま、精一杯やろう。
それがきっと、わたしを後押ししてくれる。後悔のないように、いまを生きる糧になる。


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