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6.29 磨かれて幸せになる
傷ついた、じゃなくて磨かれた。
いろんな人がいて、それぞれ考え方も違って、大切にしたいものも違う。
育った環境も違うから、生きかたも違う。
癒されたり、支えられることがあるのと同じように、言葉や身体への暴力で、人を信じられなくなったりもする。
私は暴言を吐く人や、威圧感のある人が極端に苦手で、傷つけられまいと自分をガードする。
そうやって、今まで自分を守ってきた。
そうするしかなかった。
自分の気持ちを求められても、頭の中で正しいことを言わなきゃ、と「正解」を探していた。
本音とはかけ離れた言葉を発していた。
本当の自分の気持ちを伝えたら、相手がどんな感情をもつかわからなかったから。
いつも相手の顔色をうかがって生きていた。
まるで「こんな私だけど、生きていてもいいの?」と誰かに委ねているかのようだった。
幼少期、女の子だから、とピアノを習うことを強要され何年間か通ったけれど、上手くなるわけがない。
私が心からやりたいことじゃないから。
ドレスアップされて発表会に出ても、何も幸せじゃなかった。
それより、発表会で失敗して「叱られる」のが怖くて一生懸命に練習した。
「やらされてる」だけで、そこに喜びも幸せも笑顔もなかった。
モノクロの1ページ。
そんな日々を送っていて、叔父の病気が発覚した。
「看護師」というお仕事が気になった。
「病気の人のお手伝いがしたい」「何か役に立ちたい」私が初めて抱いた希望であり、夢だった。
これだけは「誰に何を言われても叶えたい」
私の身体の中心からブレることはなかった。
中学、高校と夢に向かって勉強した。
看護師になった。
ここから、少しずつ人生が彩られてきた。
育った環境で、傷ついてきたと思っていたけれど
そうじゃなかった。
多感な年頃に、暴力を受けて育ったモノクロ時代があったから、今を生きることができている。
周りの人達の支えがあって、私は痛みを知った分、磨かれたのかもしれない。
痛みを知ることができたから、人に同じ気持ちにさせないと強く思えたのかもしれない。
何もなく育っていたら、今の私は間違いなくいないと思う。
いろんな事象に心惑わされたり、心折れそうになることは生きてる証。
「本当にあなたはどう生きたいの?」と人生が問いかけてくれてるのかもしれない。
人生は、受け身じゃ幸せにはなれない。
受け身でいたら、幸せに気づかない。
人との磨きあいがあって、自分で人生の舵をとっていくもの。
自分で舵をとるから、身近な幸せにも気づける。
そんな気がする。
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