娘を友達にしてしまうタイプの母親

(1)
同性の友達がいない。物心ついたときから、女の子との付き合い方がよくわからなかった。中学のときはふつうにいたんだけど、突然無視するゲームみたいなのあるじゃん、順番で。あれで、わたしの番が回ってきたとき、あとで聞いたんだけど、わたしのキライなところは「ついてくる」「ウザい」ということだった。
中学生の女の子のボキャブラリーなんてたかがしれているから、一体どういう意味なのか、どういうとこがウザいのか分からなくて、わたしは戸惑った。なんせ思春期で、わたしは自分固有の生き方をしていて、自分以外のほかの在り方など知らなかったのだ。

しかし大人になって、自分の土台を作り変えているいま、このわたしの在り方は、母との関係を基盤にして作られているということがよく分かる。無意識の中に、人との、同性との関わり方がすでにインプットされている。

母という女を振り返る必要があると思った。母は、病んでいてさみしい女だ。彼女は母親ではなくおばあちゃんに育てられた。幼いとき、自閉症かと思われるほど、喋らなかったといっていた。自己主張を一切せず、自分の感情や体のことに無頓着なまま、セルフネグレクト状態で生きてきた。いまはモラハラの父に奴隷のように仕え、姑からは強烈な過干渉(嫁は自由に出歩いてはいけない等)を受け、引きこもりの妹には、女中のように毎食何を食べたいか覗って、部屋まで持っていっている。

母には一応友達がいるけれど、おそらくほんの上辺でしか接していない。
彼女にとってこの世界は安全な場所ではなく、誰も彼もみんな、自分を迫害し、脅かす存在でしかない。そんな母は、唯一、娘であるわたし(そしてわたしが家を出たあとは妹)の存在をよすがにして生きてきた。
わたしの中に入り込み、わたしの中に、周囲の人間への強烈な憎悪を吐き出す。母はいつもわたしに、祖母や父の悪口をいった。自分が被害者だという顔をして。わたしはそれを心から信じ込み、母は可哀想な人なので、助けなければと思ってきた。自分を犠牲にし、いつも母最優先だった。バイトで稼いだお金で、真っ先に母を旅行に連れて行った。いつも、母の世話だけしてきた。振り返れば、生活すべてが介護のような感じだった。母にとっては、わたしが彼女に尽くすのは当たり前のことだった。自分も、親(おばあちゃん)と、そういう関係だったから。

わたしにとって、父や祖母は敵で、世界は“自分“を傷つける場所だった。(この場合の自分とは『わたしという存在』を指すのではなく、半分以上母の観念に入り込まれた、“わたし”と“母”の複合体のような存在だ。自分の意に反して体が反射的に母親を優先し助けてしまうような、もし母に逆らおうものなら、わたしの中に入り込んだ母がわたしを責め立てて罪悪感でぐちゃぐちゃにしてしまうような)を傷つける場所だった。

(2)
わたしは自分をゲロ袋だと思っていたし、そういう価値しかないと無意識に思っていた。人の、怒りや悲しみをいっぱいに受け止めるだけの存在。だから、“友達”とは異様に周囲の人の悪口を共有したがった。でも、女の子は、一緒にいて楽しい子を友達に選ぶ。だからいつもわたしは女子の中であぶれ気味だった。

母は、わたしという子供を常に「自分の下」においていた。支配関係だ。思い出すことがある。小学校低学年のとき、わたしは一人、原っぱで、小さな子猫があとをついてくるのを眺めながら、後ろ歩きしていた。子猫は母猫とはぐれたのだろうか、ひとりぼっちで、子猫の生存本能が、わたしのあとをついて来させるのだった。わたしは、苛立たしい気持ちで子猫を見ていたことを覚えている。「ついてこないでよ」と思った。煩わしくて疎ましく、最悪の気分だった。そして、蓋のない溝を跨いだ。子猫はそれ以上こっちには来られなかった。ざまぁみろ。わたしは原っぱに、子猫を置き去りにした。

いまこれを書いていると、とても苦しい。
あの子猫は、愛を求めて母にすがりついたわたしだった。そしてあの時の小学生のわたしが、母の在り方だった。『幼い子供は誰かに愛を求めることでしか生きていけない。毒親は、子供には自分しかいないとわかってて、子供をナメている』最近ツイッターのTLに流れてきた言葉だ。(たぶん小石川真美さん)親に愛されたことのない母に、愛するなどということはできない。そんな人間が、子供に愛を求めてすがりつかれたとしたら、煩わしいと感じるだろう。彼女は一生懸命尽くしてきたつもり、子供を愛してきたつもりだ。けれど、わたしは彼女が意識的に、頭で“がんばって”したことより、してくれなかったこと、そして彼女の存在の在り方(子供のわたしを冷たい目で見下し拒否していたあの姿)の方に、ずっと、ずっと、莫大な影響を受けてしまっている。

(3)
母は、子供のわたしを下に見て、ナメていた。「自分がこの人間(わたし)の養育者だから、自分のほうが上」いい子ちゃんで優等生の仮面をつけて自分を抑圧している彼女は、口では、きっとそんなことは思っていない、とんでもないというだろう。だけど、幼児性をもった人間は、人と対等な関係を築くことができない。支配する/される の関係から、出ることができない。その証拠に彼女はいつも人に支配されている。そんな人間は、当然のように、自分より立場の弱い人間を支配する。

わたしは、これまでずっと母に愛されていると信じてきた。母親に、”愛のつもりで、徹底的に支配されている”なんて露ほども思わずに、しかし、大人になって、「え!?なんでわたしにだけ!?ちょ、ひどすぎん!?」という思いばかりするのだ。特に年上の女性との関わりにおいて。そして元をたどれば、こういうことになっていたのだった。

母の在り方。母は、わたしにとって母親ではなかった。いまも、母親ではなく、友達のような存在だ。娘と、友達のようにしかなれない母親がいる。傍からみると、「いつもお母さんと一緒に出かけて仲いいね」と言われるタイプの。
でも、それは、娘にとっては最悪の母親だ。
そういう娘はだいたい、自分の存在に入り込んでスペースを奪った母への憎しみを抑圧しているし、同性と接すると、無意識に仕舞った母親への憎しみが刺激されるから、同性の友達を作ることができない。同性の人間を、敵だと思ってしまっている。

いま、有り体に申し上げて、お母さんは、わたしにとって、ゲロを吹いたあとの雑巾みたいな存在だった。存在自体が。その無意識が。お母さんの生き方は、わたしにとって毒にしかならない。お母さんを見習って生きたら、必ず不幸になる。
世の中には、「東京西川の羽毛布団」みたいなお母さんだっている。わたしだって、羽毛布団のお母さんにふわっと抱きしめられたかったよ。でも、お母さんは、ゲロ雑巾だったけど、一生懸命アタマでがんばって、わたしを抱きしめてくれた。意識上では。その事実。その事実だけは、認めてあげる。何の役にも立たなかたけれど。むしろマイナスだけれど。

わたしは必ず、母と築いた愛着関係から脱出する。自分を低く見積もって、いつも女の人に尽くしてしまう習性があり、理不尽に、搾り取られるようなことばかりだった。母との関係がそうなのだから、女性との関わりはみんなそうなのだと無意識が学習してしまっているのだ。でも、わたしはもうそういうのをやめたい。人と、対等に関わりたい。愛で交流したい。そう心から思う。

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