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8月6日 確かに本屋に行かなくなった。”うっ 裏切者?” 本屋問題に貢献できなくて、忸怩たる思いでいっぱいである件。

本屋をどうやって持続させるか、ということが様々な場所で語られている。

そういう場を感じると、個人的に脳内ではじんわりと嫌ーなストレスを感じていることに気づいた。

そのストレスに向き合わず、やり過ごしていたのだが、そうするとストレスがストレスのままで残っていることに気づく。

ということで、ちょっとこの場でそのストレスの”隠れた発生原因”に向き合ってみたい。
で、どう感じているのか、というと

”うう、自分は裏切者になってしまった・・”

というものであるようだ。


なんというか、いままで本は勢いで買ってきた。
"勢い”とはどういうことか。

私は中学1年の時の小遣いは3000円、そこから平均月4冊の漫画、そして適宜文庫本、を買って来た。つまりはほとんどが本代であったのだ。

そういう中高時代を経ているので、本は基本毎月購入していた。勿論通学途上で立ち読みもしまくっていた。

その後はブックオフで主に新刊本ではないもの、マイブームな作家のものを網羅的に、単行本であれば安くなっていれば、という感じで買いまくってきた。

アマゾンで買うようになったのは、まあ、アマゾンの中古本がほかのサイトより安い(日本の古本屋や、アマプラなどを徘徊)ときもあるからだ。ブックオフの値付けが、ヤフオクなどから決定されて来るようになってからは、ブックオフにもあまり行かなくなった。

自然新刊本を、書店で見て、ということはほとんどなくなった。

まあ、現在の通勤は歩きなので、電車待ち時間(東京ではそういうものは存在しないが、地方ではよくある)で駅の本屋に寄る、というムーブがなくなったこともある。

そして”置き場所””積読”問題。正直現在の部屋の本置き場キャパは限界にある。

そういう状態にあると、もうあまり本は増やせない(一方で、あまり電子書籍は買わない。なぜなのかはまた別のところで考えたい)ので、本屋に行くとついつい“一期一会”が発生して、買ってしまうこともあり、足が遠のいたのだ。

いや、リアル本屋のいいところは、こういう”実際の本屋で手に取って出会う”ことが一番である、と言われていることはよーーーーく知っている。

だが私はむしろそのことを恐れているのだ。

こう考えると、リアル本屋のすばらしさを知りすぎているが故に本屋に行けない、ということがわかってくる。

さらに置き場がないことに加えて、”手元不如意”がある。要は金がないのだ。



漫画家が、ブックオフですべての本を買ってます、というファンを罵倒する、という件を知ってから、ブックオフで本を買うことにすこし罪悪感を感じるようになった。

本当のファンなら作者の俺に金が入るよう、新刊書店で買わんかい!、というのは、まったくよくわかる。めたくそ正論だ。反論は1ミクロンもない。

だが、ちょっとこの漫画家(誰かは忘れた)の本はしんどいなあ、という気がする。
これは本人には言えない、本音である。

私はブックオフでさえ、主なムーブは立ち読みだ。閉店まで粘って膨大な量を読んできた。その結果、これはもう買っとかなあかんなあ、という本だけをブックオフで買ってきた。

買って罵倒された”ファン”どころか、ほとんど買う可能性がない存在なのである。

この漫画家に言わせれば、私などは”お前は乞食か、どっかに消えろ!いや、死んでくれ!!!”となるレベルであろう。金を払わないので、そういわれる場ではそうなってしまうのはよくわかる。

ブックオフが新刊本を発売後すぐに安く買える場なのでより問題が先鋭化してしまうのだろう。

所謂絶版本メインの古本屋(もちろん新刊も混じっている)であれば、すこし個人的な気持ちの逃げ場はある気がする。。



つらつら書いてきたが、私という存在、これはもうまったくリアル新刊書店さんには貢献しない客である。

食べるものを削っても本を買う気は十分だが、そこから絞りだした金で安い中古本と新刊本があれば、どうしても新刊本を買う心の余裕が出てこない。


ああ、申し訳ない。
本屋は大好き、大きくは存在してもらわないと古本も存在しなくなる。

そうは思うが、個人としてはどうにもならない、とも感じているのだ。

この罪悪感こそが、本屋問題のストレスの根源、なのであろう。

(考えるに、私が人にお金を出して文章を読んでもらう、という立場になったことがないことも関係がある気がします。金を貰わねば生きていけない、となれば、それは前出の漫画家のような気持ちにより近くなるのでしょう)

お志本当に嬉しく思います。インプットに努めよきアウトプットが出来るように努力致します。