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日記5月31日 呪いは言い訳のこと。

年齢は関係がない、というときの、自身の気持ちを眺めてみれば、そこには一抹の「言い訳」があるのに気づく。

これは良くない。

言い訳があるなあ、ということばかりが残ってしまう。

年齢により計算能力が落ちることはないが、「年をとると能力が落ちる」と思うと本当に落ちる。

これが「呪い」である。

呪いは、別にブードゥーのような呪具がいるわけではない。

呪い、とはエゴのことだ。

エゴは生きるためのモチベーションであるのだが、マイナスでもモチベーションになることをよくわかっている。

なので、「呪い」は好物だ。

能力が落ちる、という形で変化する。変化とは時間の経過を伴うこと。すなわち「生きる」ことだ。

残念な生かも、だが。


なので、この呪いにはとことん自覚的でありたい。


私はエゴではない、と思うのもいい。

自己収縮、という言い方もある。ケン・ウィルバーだ。


自然と沸き起こるエゴや自己収縮に代わり、自己解放がいいだろう。


今だけに生き、無限の永遠の時間にあり、自己を敢えて規定することはない。

これは生き方の構え、のことである。本当にそうか?という問いは受け付けない。受け付けると、自己収縮に落ち込む。

(呪いは、巧妙ですねー)

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