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5月14日 下っ腹ぽっこり。ドクサという目の鱗をできるだけ落としてゆきたい。

今朝の体重64.4kg、体脂肪11.2%。
これくらいの体重で、体脂肪11を越してくるのは、やはり毎日玄米をもりもり食べているからかもしれない。気持ち下っ腹が出ている気もする。

ということで、今朝は玄米なしで代わりに刻みキャベツと納豆と卵、という感じにした。キャベツが思いのほか食べ応えがあり、玄米なしという感じがあまりなくていい感じ。
夜に空腹感に耐えられず2合炊き(電子レンジだが)のプラ製容器から玄米をかっくらう、という感じになってしまっている。これはもしかすると牛乳を買うことを手放した結果、コーヒーがあまり美味しくなくて飲まなくなった所為かもしれないと今気づいた。毎日コーヒーに牛乳をどばどば入れて、ビアマグなみなみの分量を一気飲み、というムーブで空腹感をごまかしてきたが、それがないので、玄米かっくらいとなっているようだ。

食事と空腹感と食事内容はいろいろトレードオフだ。牛乳は復活させてもいいかもしれない。

自炊中心だと、理科実験のように、食べたものが身体にすぐ反応してくるので面白い。今は1日で全くカネを使わない0円DAY、というものを月の中で何日か作ろうとしており、そのためにいろいろ手放しているところではあるが、手放してみての不具合についてはまた復活することも必要であるだろう。

池田晶子さんがおっしゃっていた、思い込みを思い込みであるということに日々気づいていき、完全自由になりなさい、という言葉を思い出すところだ(その通りのことばではなく、趣旨の記憶から)。人は生まれて過ごすなかでドクサにまみれていくが、そのことに無自覚である。エゴは自分を生かすためのムーブを無意識に取らせているが、そこには”善悪”や”道徳”はない。いわば野生の生存戦略だ。

だがそれが”無意識な思い込み”であると看破してゆくことで、目から自ら鱗をはがしてゆく。目から鱗をはがす行為は、ソクラテスが言った「洞窟の比喩」にもつながっていると思っている。これが正解だ。本当にそうか。人生という名の洞窟でゆらゆら踊っているのがあなたのいう“生”ではないのか。踊ってはいかん、ということではない。
踊っていることに自覚的になり、出来ればその踊りの一挙一等足(こんな字だっけ?)を意識する。禅では歩く一歩一歩に神経をそそげというが、いわばそんな心境に近いのかもしれない。

無意識に玄米に食らいつく。体が栄養源としてそれを欲している、とも思うものの、では”自身をして何に食らいつかせるのか”については、意識した方がいい時が多いのだろう。

(日々試行錯誤、ですねーーーー)


人生のほんとう
作者:池田 晶子
トランスビュー






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