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3月5日  マクドとマック。おじさんとオッサン。

今日の体重は65キロ、体脂肪は11.4%であった。昨日帰宅時は64.8kg、体脂肪は7.8%。

最近はすこし意識して玄米を食べている。空腹感がまぎれるのと、腹持ちがいいことから、様子を見ているところだ。

おもえばこの数年はだいぶ白米を減らしていた。1日茶碗1杯程度だろうか。だが飲み会が多く体重が67キロあたりになると”危険信号”ということで、じわり減らすには炭水化物しかなかったのだ。


どら焼きも炭水化物ですかね💦


グルテンフリーも、自分で判断できるとき(飲み会や人と食べるときは食べる)は再開した。パスタを食べまくっていたが、玄米にしたのだ。

脂肪がないと、風邪をひいたときに免疫力に欠けるのでは、という思いと、なんとなくパワーが出ない感じもあり、すこし増量期、という感じで様子を見ている。

腹囲が大きくなった場合はまた調整してゆきたい。

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さて、生まれ育った場所での感覚というものは、なかなか変化しないものである。

私は18年間神戸地区で育ったので、まあ、その地方での感覚である。
だが、最近感じるのは、例えば村上春樹氏(お父様は先生だったようですが)が育ったいわゆる芦屋あたりの地区(あそこは神戸市ではないはずだが)と、私が育った垂水あたりや学校のあった播州あたりとでは、やはり下町と山の手、という感覚が言葉の面であるのかもしれない、ということだ。

まあ、山の手、といっても神戸では場所的にはみんな山の手であるが(笑)。。。

私の育ったあたりの感覚では、「カッコつけとうやつが一番ダサイ」というものであった。この”とう”という音便系的な言葉は大阪ではないようだ。”とる”となるはずだ。

とにかく「かっこつけたらアカン」である。言葉もできるだけ日常感覚にあわせ、ときに本音で、ときに激しく、という感じだ。

だが多分芦屋あたりではちょっと違うだろう(推測)。別にかっこつけたような言葉でも人に毛嫌いされ糾弾されないのではないか、と推測している。

関西弁のベースは「かっこつけない」だ。その感覚が、ほかの土地の言葉を排斥する感覚につながるのだ。

タイトルで書いたが、「マック」や「おじさん」。マックはさすがに今は普通に関西でも使うのではないかなと思うが、例えばわたしの地区では自分のことを「おじさん」とよぶのはちょっと「カッコつけ」になっていた気がしていた。へりくだり。卑下の感触があるわけだ。そこで安心できる呼び方が「オッサン」だ。

このことは前にも書いた気がするが、私の生まれ育った家では、なんでもかんでも他人や他動物を呼ぶときの親しみはすべてこの「オッサン」という言葉に込められていた。

だが、他地区のひとにはバカにされたように聞こえていたようだ。

ひとのことを「彼」などと呼ぼうものなら、「なにカッコつけとんねん」という言葉が自らを叱ることばとして脳内に沸き起こり、「さぶいぼができる」。

しかし「彼」「彼女」という言葉がつかえないのは何気に不便ではある。

そこで出てくるのが「オッサン」という便利な?言葉だ。

つまりは「あのひと」「彼」「彼女」(彼女の場合は「おばちゃん」「おばはん」かもしれないが。。おばはん、はちょっと蔑称入っているかも)という言葉をすべて「おっさん」で行くわけだ。

家(うち)ではペットのマルチーズもいつもかわいがって「このおっさんはかわいいなあ」とやっていた。

微妙な違和感はあったが。一応オス犬ではあった。


(最近は違う地区ですごした年月の方が断然長くなりました。ということは私の関西弁はだいぶ古くなっているかもしれません。。。アップデートできてないから。。)







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