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4月19日 ヘラクレイトスの「すべては一である」ということについて。

本日の体重63.8kg、体脂肪8.7%であった。

昨日は浅草へ行った。雨であったが、特に欧米系の外国人観光客の皆さんの姿が目立った。やはり日本の物価の安さが際立っているのだろう。

すなわちヘラクレイトスの「調和」は存在の超感性的最深層における動の真姿であり、「動」きわまって「静」に転ずる動性の極地に外ならぬ。
井筒俊彦 神秘哲学 P.51 岩波文庫

ヘラクレイトスは「すべては一である」と説いたが、すべてが一、ということは普通ならすべては表面的には違っていても、どちらかというと本質的には共通の部分があるので、結局「一」に落ち着く、とつい考えてしまいそうであるが、どうやらそうではないらしい。

彼の説く「絶対同一」は存在の最深最奥の秘底に現成する諸物の矛盾的動的帰一なのであった。「(全一者が)異なりつつ而も自己同一であるということを世人は理解しない。それは弓や竪琴に視らるるごとき矛盾的調和である」 
井筒俊彦 神秘哲学 P.51 岩波文庫

一見どうにも違うように思えるものが、実は底の底では通底している、ということがあって、確かに初めて「すべては一である」といえるのだろう。違っている、という感じのままで「すべてが一」といっても、これは魂が納得しないだろう。

結局すべては「一」である、という感じは私もする。その時の「一」は途轍もない幅をもった「一」、すべての矛盾を含み飲み込み、そもそも「矛盾」というような世界を超越しているはずだ。

そういう直観に、ヘラクレイトスの言葉はピンとくる感じがする。

では、どうなんだ。

一である、ということはどうなのだ。


そう感じるだろうか。


実は私はそうでもない。


そうか、一なのか。


そのなかでゆらぎ、楽しみ、もだえ、苦しむ「部分」


それこそが「私」、

という気分になるようだ。

(人それぞれ、としか、言えませんね。。)


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