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一度死んだから言えること!

◎突然の入院

始まりは、運命の日の少し前からでした。なんとなく頭痛が出てきて、ちょっと横になるって事を何度か繰り返していたら、気づけば軽い咳まで出るようになっていたのです。

倒れる前日、妻であるゆあんさんに付き合って、その筋では有名でちょっと変わったドクターのもとへ出かけていたんです。その時についでに私も波動測定器みたいな機械で計ってもらったら、「僕のところでは処置できない症状が出てます。肺炎の疑いがあるよ」と言われたのです。

「そういわれても、発熱もないし胸が苦しくもないし、軽い咳を時々してるだけなんだけどなぁ」と、心でつぶやきながら帰宅したのを覚えています。でも実際にはこの診断は的を得ていたのですが・・・。

後にゆあんさんの話によると、その時の私は歩きながフラフラしていたらしい事や、その数日物忘れが多かったらしく、「すでに脳に酸素が回っていなかったかも」と言われたときに、頭痛の謎も解けたというわけです。

翌日も軽い咳が不定期に表れ、昼食後に夕方まで横になっていたら、昨日の診断もあってゆあんさんから「今からでも救急外来に行ったほうが良いんじゃない?」と言われ、最初は躊躇したのですが、次第に何とも言えない不安感が溢れ起き上がったのです。

しかし、自分でもびっくりしたのですが、ふらついてしまいました。するとすかさずゆあんさんが長男に「タクシーを捕まえてき来て!お父さんが危ないかも」と言ったらしく、そこから二人に付き添われてタクシーで病院の緊急外来へ向かったのです。

実は病院行くと決めてからの私の記憶では、"自力で運転して病院に向かった"というイメージが今でも残っていますが、実際には前述の通りの状況で、ゆあんさんには「間違っているよ」と否定されました(笑)

なぜあいまいなのかと言うと、死にかけたからなのか、生き返ってからその頃の記憶があいまいなのです。もっと言えば昔の記憶も怪しくて、この1年で随分と回復したのでほっとしています。意識が戻るまでの間に血中酸素濃度の低下が著しく、それなりに脳の酸欠状態があったと聞いたので、

その病院の診察室で、どのような検査がったかも覚えがないのですが、「この病院では設備が無いので、別の病院へ緊急搬送します」と言われ、私は救急車を待つ不安な子供と化していました。

その頃、付き添っていたゆあんさんと長男には医者から「ご主人は検査の結果、コロ助のウイルスに感染しています。血中酸素濃度がかなり低く、人工心肺が必要なのですが、ここには設備が無いので専用の〇〇病院へ緊急搬送します」と言う話だったそうです。

この時点ですでにやばい状態だったのです😓

この緊迫した瞬間から、私の命の行く末がどうなるのか、一体どのような未知の世界に足を踏み入れるのか?何も分からないまま救急搬送のドライブが、すっかりと日差しが無くなった黄昏た空の下で行われようとしているのです。

次回"初めての救急車ドライブ"に続きます



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