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一度死んだから言えること!

◎私に命をくれた存在・・・

私は過去2回にわたって、リハビリスタッフとして病院勤務をしていた経験があります。病院に勤務していると、非常に理にかなっている部分と、無慈悲でどうしようもない部分とか、いろんなことを目にします。

そこに働いている人たちは、そんな複雑な場所を個々の熱意や責任感で繋ぎ、命の最前線を守っているのです。

表面的にはデジタルですが、非常にアナログな場所です。曖昧で説明も出来ないことが、どこかかしらで起きていて、目に見えない命というものは一体何なのか?と日々突きつけられるのです。

私もそんな中の一人でした。パニックの中で不思議な体験をして生き返ってきました。

それは、より多くの人に分かってもらうために、この投稿では少しに留めておきますが、いずれは別のスピリチュアル闘病日記として書こうと思います。なので大まかに起きたことを書いてみようと思います。



私が誰にも話せず、理解もされない苦しみの絶頂で行ったことは、ただただ祈り願うのみでした。

「たすけてください!」
「このままではせっかく生き返ったのに死んでしまいます」

そもそも私は、スピリチュアルな仕事やセミナーをしてきた者ですから、それなりに神や高次意識には皆さんよりはツテがあります(笑)こんな時こそ助けてもらわないと困りますよね。

だから縋るしかなかったのです。

そしてそれは違和感から始まりました。感覚の世界のなので正確に説明することは難しいですが、ニュアンスとして捉えてください。

例えば、いつもピンとくるものが真っすぐ前からくるもの、または自分から真っすぐ伸ばした線の先にあるもの。それが求める答えであり、ブレてない霊性という感じとするなら、この時の話しかけられた角度はその真っすぐの場所から、横へ少しずれるのです。

ちなみに霊的な情報とは、いい加減なものが割と多いです。それは情報を受け取る側の未熟な場合と、情報をくれる相手が神や高次意識のマネをしている場合などあります。霊性の勉強や、経験や、ある意味での訓練や指導無くして、「声が聞こえたから」「私に神が降りてきて話しかけられた」「使命に目覚めた」とかを、簡単に信用してはいけません。

古神道には審神者(さにわ)というのがあって、例え神の言葉であったとしても、それを素直に受け入れる事はしません。その言葉つまり情報の真偽や正確性を客観的に確認するという仕組みがあります。

それを自分の中で角度として説明を先ほどしたのです。そして私が苦しんでいる時に、ズレた角度から話しかけられるのです。これはヤバいのか?と何度も考えました。でも入院前に来ていた情報先はシーンと静まり返っていて、私の声を無視しているかのようでした。

でも溺れる者は藁をもつかむの心理ですから、その声と対話するしかないのです。助けてくれるなら、それが悪魔だとしてもとは言いませんが、時間はたっぷりあるのでとことん話してみる事にしました。

まるであのニールさんの「神との対話」みたいなものでした。

続く


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