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「旅をする木」から考える、アウトドアの安全

Stay home week.
珍しく読書。『旅をする木』by星野道夫
 この本は、なんだろ、いろんな角度で想うことが湧いてくる。去年アラスカを旅して、山に登って、よりそう感じるのかな。。たとえば。


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「あわただしい、人間の日々の営みと並行してもうひとつの時間が流れていることを、いつも心のどこかで感じていたい」 
 こうして日々情報の中に生き、必死に人間社会を生きる今この瞬間にも、自然の中では動物たちや生き物がドラマを繰り広げいて、これは同じ世界の中に起きている。こんな概念を感じているだけでも、幸福なんだろうなと思う。 
 ところで、この本の巻末に、池澤さんという作家さんの解説がある。
 「星野さんは、クマに襲われて亡くなった。つまり事故である。事故には偶然が大きく関わる。ちょっとした時間と位置のずれ、条件のわずかな違い、自然の気まぐれがあれば、別の結果になっていたはずだ。(中略)本当のを言えばそれは奪われたのではない。ことのなりゆきのどこにも悪意はなかった…」 

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 僕の仕事はガイド業であり、自然学校インストラクター。その職務範疇には「安全を管理する」ことが含まれる。
 当然、そこには大きな「責任」を背負って活動すことが求められている。そのための知識や技術を研鑽によって能力を身に着けようとしている。 他方、これまで山や自然の中で命を落としてきた人も、星野さんもまた、「安全を管理する」意識や行動、哲学があったはずだ。山でわざわざ死にたいと思う人もそうはいないだろうから。でも、事故が起こる。
それは、「科学が証明してくれる、リスクの重なりによる結果」なのか。「自然の気まぐれ」を含む、偶然の積み重ねの結果。なのか。
 そもそも人間は、大きすぎる自然という相手を前にして、本質的に「安全」など管理できるのか。管理していると思っているだけなのか。
 しかし、管理できなかった代償(事故)は、人間社会のなかでは、大きい。極めて大きい。ところが、 自然の中の文脈では、「どこにも悪意はなかった一つの現象…」
 安全管理を取り巻く『ミクロな現実と、マクロな本質』に、どこか解決できないジレンマを感じつつ、でもこの職業に就いているいる限り消えない問いなんだと思った。ひょっとすると、このジレンマが「畏敬の念」ってやつなのかもしれない。
ステキな本。
そろそろ山に行って、こんな問いを考えながらまた歩きたいな。

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