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地方の中小零細3代目はつらいよ。その6 株主総会

さて、どこまで続くのか。第6回目です。

家業へUターンし、経営者としての道を歩みだした私は3人の先生をバックにつけ、まずはすべての業務を経験することにしました。

営業、経理、総務、そして工場です。(労務はちょっと手が出し切れませんでした。)当時の従業員の平均年齢は比較的高め。3年以内に次の担当者を考えないと引継ぎができないリスクがかなりありました。跡継ぎがいきなり東京からやってきて、ベテランの首を切る。こんなことをしたらどうなんでしょうか。。。頭をよぎりました。まあとにかく社内での信頼を得ないうちにこんなことしてもしょうがないので、最初はおとなしく社内の色々な人の仕事を一緒にやって観察していました。

家業について半年ほどすると最初の決算でした。ここで最初のヤマ場を迎えます。そう、株主総会です。非上場の中小零細なんて株主総会やるの?とお思いでしょう。やるんです。うちの会社は設立時に数名の出資者(株主)がいて、それが相続によって株式がさらにバラバラに。そしてすべからく、会社(資産)乗っ取りをもくろむ大叔父も株主でした。

実は私が入社した時には大叔父は、会社から退職金を奪い取り退職していました。その後も会社に居座っていましたが、税務署から怒られて追徴課税も取られたので、名実ともに退場してもらっていました。(退職金もらった後にも経営に関わっていると判断されると退職金(経費)として扱われないんですね。)

これに納得いかない大叔父は、あれやこれやと嫌がらせとカネをよこせ、株を(高値で)買えと事あるごとに言ってきました。株主総会は彼にとっての大舞台。本来の趣旨を外れ大演説会になっていました。お決まりは半世紀以上前の創業の話。当事者によるとウソばかりだったそうですが、とにかく話を盛る。同じ話を何度もする。まあウンザリです。社長(私のお父さん)は温厚な性格で勉強熱心ではないので、まったく言い返す術を持っておらずただ聞くだけだったのも、株主総会を演説会にしてしまっていた要因でしょう。そして良いように言われ続けていた心労が病気の原因でもあったんじゃないかと思っています。

ちなみにこの最初の株主総会で私は取締役に就任するんですが、議題については叔父さんは興味なかったのか、まったく反対もされず取締役に承認されました。ちなみに取締役の選任は、普通決議なので出席者の過半数の承認が必要です。(※定款に特段の定めのない場合)当時の株主構成は、社長派が過半数いたので反対されても問題はありませんでした。

決議案では全くもめることなく、大半をただの演説会に費やした最初の株主総会は私も特に争うことなく話を聞いて終わりました。なかなかツラいものがありました。自分のお父さんが一方的に言い込められる姿、見ていられません。やられたままではいられませんね。ちょっと古いですが倍返しのチャンスは来るのでしょうか。続きます。

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