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キッチン情景|酒の短編06

雨の気配で目が覚める。

カーテンの裾をそっとめくると、ベランダ越しの空は灰色。耳を澄ませば静かな雨音が、通りを行き交う車の音と混じり合って優しく聞こえる。それでもこの雨を境に、花ざかりの桜も散り始めるだろう。

隣では恋人が規則正しい寝息をたてている。昨日は金曜日だったけれど、リビングで遅くまで仕事をしていた。起こさないようゆっくりとベッドから抜け出し、身支度を整える。
薄暗いキッチン、やかんに残っていた麦茶を注いで飲む。シンクにコップを下げると、ビールの空き缶が逆さになって水切りされていた。

二人の時間を作りたくて借りた1LDK。体温を感じられる距離にいるのにすれ違うのは、別々に暮らしていた時より余計に寂しい。
テレワークが進んで過ごせる時間が増えたけど、心がさざなみたつことも増えた気がする。

ダイニングテーブルに頬杖をついて、見るとはなしに冷蔵庫を眺める。

それほど大きくはない冷蔵庫は、二人暮らしのタイミングで買い替えた。落ち着いたグレーの色合いが気に入っている。
どちらも出掛けるのが得意ではないので、休日は料理をして過ごすことが多い。だから思い出はアルバムよりも、冷蔵庫に詰まっていると言って笑うのが日常だった。

そんなことが浮かぶのは、この関係を考える時期にきているのかも知れない。気分を変えたくて冷蔵庫の中身を思い出してみる。

まずは一番上から。チーズにバター、それと味噌。瓶詰めのザーサイと、ご飯が二膳あったはず。
次の段はヨーグルトと納豆、豆腐。夕べの南瓜サラダと生姜焼きが残っている。
三段目には何があったっけ。卵は最近使っていないから十分ある。買い置きの缶ビールはあとひと缶だけ。
チルド室には豚コマ、ベーコン、鯵の干物はそろそろ賞味期限。
冷凍庫には鶏むね肉としめじ、油揚げ。チョコモナカジャンボ、青のジャイアントコーン。ピノは切らしている。
最後、野菜室には人参、小松菜、いつからあるか忘れてしまったピーマン。

しなびたピーマンが、イジけた上目遣いでこっちを見ているのを想像して少しおかしくなる。時計を見ると10時に近い、もう朝食ではなくブランチだ。野菜室を開けると、果たしてシワのよったピーマンと目が合った。

幸いベーコンもあるから、今日はナポリタンを作ってゆで卵もつけよう。一本のビールを分け合って、食後にはもちろんアイスを食べる。

そうと決まればキッチンの窓を開けて、雨の匂いがする春の風を取り込む。冷蔵庫から食材を出して並べているうちに、気付かないうちに澱んでいた空気が入れ替わり、部屋が彩りを取り戻していく。

起きたら一緒にご飯を食べよう。あなたと話したいことがたくさんあるんだ。

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