「正しさ」よりも「自分にあっているか」
あると思ってた正解はどこにも無い
正解という幻想を追いかけていたのが以前の私。
どこかにあるはず・・・。
でもそんなもの無いということがわかってからは、正解探しはやめた。
客観的でどこにもあてはまる正しさなんて無い。
だから感じていることや思っていることなど、自分に聞いてみる。
そして自分にあっているものを選ぶ。
そんな風に変わってきたのがここ数年。
良くも悪くも、私たちは学校で「正解探し」をする訓練をさせられてきた。なので何が正解かに囚われがちだ。
でもそれは仕方ありませんけどね。
だって数学の問題ならば、誰にとっても同じ正解はあるから。
1+1はどう逆立ちしても答えは2。 ハイ!正解。
でも現実社会での問題なんて、正解のないものがほとんど。
それに出した答えが正しいかどうか? それを誰が決めるのでしょう。
何が正しいかなんてわからない
正解かどうか?
あとになってみないとわからないものだってたくさん。
その時限定の正しさかもしれない。
未来になったら、誤りだったなんてことは歴史上いくらでもある。
例えば「運動中に水を飲んではいけない」なんて、一体どんな根拠があったのだろうか。
与えられた一つの正解が合わない人もいる
ワク○○を例にしてみよう。
期間限定の正しさを前面に押し出して、相変わらずワク○○接種は
すすんでいます。
だけど人はそれぞれもって生まれた体質があり、身体の個性がある。
お酒が飲めない体質の人がいるように、当然ワク○○が合わない人もいる。
身体のつくり、何に反応するか、アレルギーがあるかどうか、
副作用が出るかどうか・・・。
副作用の種類さえ千差万別。
あらゆる面で違いがある。百人百様です。
万人にとって良い食べ物なんて無いように、
万人が健康になるやり方は無いのです。
そのやり方が合わない人がもちろんいるわけで、
合わない人にとっては、もはや「正しさ」ではないです。
そういった個人差を無視し、ひとつの正解を押し付けるのは
何だか野蛮だと思う。
「あのう・・・〇〇日に、ワク○○予約お願いします」
公民館の近くで、接種の予約電話をしているおばあさんの声が聞こえてきた。
習慣になっちゃっているので気づけない「予防接種」という考え方。
高齢者の常識を裏切りながら、現在のワク○○はもはや毒となって健康被害は拡大している。
自分の中で当たり前になっていることや習慣化してること、
それをやめるのはとっても難しい。
自分にしっくりくるか?
習慣のようになっていることや、自分が信じ込んでいることは、
いつそうなったのだろう。どこかの人間が勝手に決めたものって
たくさんあるのではないだろうか。
他人が勝手に決めたもの、周りの人がやっていること、
それって自分に合っているだろうか?
世間の正解や、他人の正解に惑わされてない?
正解と言われているものは、一体誰にとっての正解?
自分にあっているかという視点をもっと大切にしよう。
正解なんて無い、もっと自分のことを信頼しよう。
毎回試行錯誤が必要かもしれない。判断に迷うこともたくさんある。
だけど、自分にしっくりくることを選択しよう。
自分の心はどう感じている?
違和感は無い?
謎のモヤモヤは無い?
何を心地よいと感じる?
何だかおかしいな、という感覚があったら、
過去の当たり前や押し付けられた正解らしきものなんて
しなやかに手放して、自分の心の声を聴くことをもっと優先しよう。
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