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あなたは「自分をADHDだと思う?」と問われた時どう答えるか

注意欠如・多動症(ADHD)とは、年齢あるいは発達に不相応に、不注意、落ちつきのなさ、衝動性などの問題が、生活や学業に悪影響を及ぼす状況をいいます。

というか最近よく目や耳にしませんか?

特に気になるのが「大人のADHD」

この言葉を見た時、「果たして自分はどうなんだろうか…?」と真剣に考えた時が何度かあります。

なぜ真剣に考えるのか?それは何となく思い当たる節があるからです。

・幼稚園及び小学生低学年の時、一人だけ浮いていて友人ができなかったこと

・中学生の時、人目もはばからず卑猥な言葉を大声で言っていたこと

・大人になってからも人見知りが激しく、人付き合いが苦手なこと

・親や家族に対して時に感情の制御が効かないくらい怒りってしまうこと

・極度のあがり症なこと

などがあるからです。しかし、それが第三者から見てかなりひどい状態か?と俯瞰して考えた時、「正常の範囲内かもしれない」と思う自分もいます。

よくネットでチェック表などがあるので行ってみても、「あなたはADHDではありません」となります。


✔ 基準はひどく曖昧なのでは?と自分なりに解釈する

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ADHDとは脳の病気。レントゲンなどで目で分かる病気ではなく、行動や考え方などで判断します。これは非常にあいまいです。その人の性格が内向的、故に人見知りで人付き合いがうまくいかない、人付き合いがうまくいかないのでソワソワして落ち着かなくなってしまう…。その行動だけでADHDかも?と判断してしまう場合もあります。

ストレスで一時的に不安定になり似た症状が出る場合もある。
小児などで脳の発達が未発達なので小児期だけに似た症状がでることもある。

明らかにADHDである、と見極められるケースと、このように境界線又はADHDの特異的な行動が一部見受けられるというとてもデリケートなケースもあります。


✔ 境界域の人々の治療はその人が判断すればいい

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社会に馴染めない
本当に辛い
仕事も長続きしない
今の状況から抜け出したい

と強く思う状況であれば、医師に診断してもらい手助けをしてもらうという必要性があると思います。


一方で

多少の問題はあるが社会に適合している
家庭や友人との関係性もそれなりにいい感じだ
心が苦しくなるということもない
何かに依存しそれが生活に支障を来たしていることもない

などであれば特に治療を受けることなく、今まで通りの生活を送ればいいのではないでしょうか。


なぜかというと、人生はその人のものだから。誰しも自分が病気だと思いたいくないし、家族もそう思っているはず。なので、特に自他で社会生活に迷惑をかけていない、感じていないのであれば、無理に病名を付けることなく普通に生活していればいいと思います。

とはいえ、適合できなくてつらいという場合もあります。また、周囲の人に迷惑をかけてしまうということもあります。この場合はやはり診察してもらい、改善方法を探る、見合った就職先を見つけるということが、その人にとってい方向へ導いてくれることが多いのではないでしょうか。


✔ 何でもかんでも白黒つける必要性はない

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もちろん、治療及び社会全体が暮らしやすくなるために、病気を診断してしかるべき処置を取るというのは基本のことであり間違ったことではありません。

しかし、一方で「劣等感を抱かせて将来への夢や希望をへし折ってしまう」という危険性もあります。

これは極端な例ですが、今まで仕事もバリバリ、遊びもブイブイいわせてて、自分では「俺は将来大物になるべくして生まれてきた。最高の女と結婚して幸せになる権利がある」と思っていたのが、ある日突然、「あなたは大人のADHDの可能性がある」といわれたらどうでしょうか?

心の強い人ならどうか分かりませんが、弱い人なら急に悩んでしまい、人によっては仕事も恋もダメになってしまう…ということもあるでしょう。

これはちょっと大げさだと思いますが考えられなくもないことです。

今は芸能人などでそうじゃないかといわれている方が多くなり(黒柳徹子
・さかなクン・ジミー大西さんなど)や自身でその傾向があると公表し、それによって楽になったと話している「武田双雲さん」なども出てきていることから、それほどADHDを含む発達障害の診断を受けたからといって、急に心身がどうこうなるような衝撃を受けてしまうということもないのかな?と思ったりもします。

以上のようにデリケートな問題なので、境界域の人まで全てあぶり出して振り分けをするというようなことはする必要はないし、できないと思います。


✔ 養護学校に行けといわれた娘の話

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なぜこの話題の記事を書こうと思ったかというと、実は娘が小学一年生の時に、通っていた英語塾の講師から「娘さんは養護学校(障がい者専門の学校)」に行かせた方がいいといわれた時のショックをどこかに爆発させたかったからです。

娘は生まれた頃から喜怒哀楽が激しい子どもで、赤ちゃんの時はちょっと機嫌が悪いと永遠に泣いているというような子でした。よく、泣き止まないのでおんぶをして近所を歩き回っていたのを思い出します。

保育園でも、一人だけ運動会の時にみんなの前で運動するのを嫌がり、我が家だけママがずっと一緒に付き添っているという感じでした。

年長さん(5歳くらい)からそれら気になることが少なくなったな~と思ったら、友人と集まった時などリミッターが外れたようにテンションが上がり、一人でしゃべりまくるというようなことがよく見受けられるようになりました。それが小学校低学年くらいまで続きました。

このような子供だったので、私たち夫婦も「もしかしたら発達障害の気があるかもね…」とたまに話したりもしていました。

一方で、以上の症状が日常的に気になり、娘及び周囲の友人、学校生活などに支障を来たしているかというと、それはそうでもないのかな?という感じが強かったです。

保育園の時は運動会の時だけでしたし、小学校に上がってからは友人が泊まりに来た時だけ。しかも、常軌を逸しているという感じでもありません。

もちろん、親が見ていない時に変な行動を起こしていた可能性はありますが。


そんな娘が小学校一年生の時に当時通っていた英語塾の講師から「養護学校に行かせた方がいいと思います」と言われました。

その時のショックは今でも鮮明に覚えています。

どうしたらいいか分からず、まず小学校の先生に相談しました。当時、娘の担任は学年主任をしているベテラン先生だったので、信頼できる、と思いすぐに相談しました。

すると、「全く問題ないですよ」の一言。
先生曰く、養護学校に行くような障がいは見受けらないということ。そしてそのような傾向もない。全く普通の子供と一緒ですよという答えを頂きました。

ただ、実際に判断するのは市の担当職員なので、もし気になるなら相談してみは如何でしょうか?全く必要ないと思いますけどということも言われました。

もちろん、私たち夫婦も障がいがあると思っていないので市に相談はしませんでした。


✔ 今現在の娘の様子

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現在、中学一年生になった娘は恐らく普通です。

スマホで音楽の動画を観るのが好きで、ゲームは動物の森を夢中してやっています。友人は仲のいいのが5~6人、その他、教室内で浮くこともなく普通に学生生活を送っています。

一応、公立中ではなく、進学校である私立に進学してくれました。通信簿は何か秀でている科目があるということではなく、全てが満遍なく少しいいという感じです。

何か気になることがあるか?と問われると、たまに変顔するのがキモイといったところでしょうか。多少人見知りもあるのかな。私の友人とは一切話しません。


何が言いたいかよくわからなくなってしまいそうですが、今になって考えると、やはりあの時の塾講師の発言は「NGだったのではないか」ということです。

もちろん、塾講師も娘のことを想っていってくれたと思うのですが、境界域の場合は傷つく場合もあるので言う必要はないと思いますし、明らかに障がいがあるのであれば、本人がとっくに行動しているのではないでしょうか。

よって、いくら親切心があっても、デリケートなことなので慎むべきだと私は思います。

また、子供の脳は発達過程なので、幼児期は多少「おかしいかな…?」という面が見え隠れしていても、成長してしていくに従って安定してくるというのは往々にしてあることです。

人間は千差万別、ちょっとした成長の早い遅い、性格の癖、支障がない程度の軽度の発達障害があるケースなどを始め、その他、様々な特徴があります。これを線引きして平均こそが正しいという考えには断固反対ですし、人権侵害に当たると思います。

がしかし、少し前に書いた通り、カミングアウトすることによって自分の不快症状の原因を知る、治療をすることによって楽になる、自分に合った職場の提供を受けるなどのメリットもあります。また、集団生活の場合には周囲の人の気持ちも考えなくてはなりません。

これらと天秤にかけ、どうやって皆が快適に生活することができるのか、を考えていくことが大事になります。そのことを、当時者及びその周囲の人間だけでなく、全ての人が一緒に考えていかなくてはなりません。

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