理想的な「家」について考える③~まめ家の歴史革命~
出力全開!全力前進!転居システム起動開始。
転居地射程距離、測定不能…
それでも、とにかくどこかへ
この衝動を撃ち放つしかなかった。
私の人生計画には無かったこと,,,引っ越し大作戦を開始した。
田舎の近所でヒソヒソと有名な「まめ家作戦」である。
数年前に保険の見直しをするため、保険の窓口へ行った
「将来、家を買ったり、引っ越したりするご予定は?」と担当者に聞かれたことを思い出した。
迷いなく、当時は「無い」と答えた。
引っ越しする予定のないつもりで保険の見直しをしたのに、、、誤算が生じた。
起動修正とは、このことか。
では、なぜこうなったのかは諸説あり過ぎるのでまとめてみた↓ ↓
私は色々なことが重なり覚醒した。
覚醒=不都合に気付く
自分は今このままで満足なのだろうか、これでいいのだろうか
違和感が生じてきていた。世の中の流れをなんとなく資産運用しながら見ていたこの10年で格段に何か普段と違う異様な出来事の連続。
確信は無かったが、ここにはいられないと感じて動き出した。
山か海かどっちかに住もう。
私は空き家バンク、不動産サイトを調べ始めた。
今まで新築物件やら空き家、空き地情報なんて調べたことが無かった
ハウスメーカーにも興味無かった。
「家=多額の借金」にトラウマがあるので、全く家に関する情報を得ることが無い人生を送っていた。家なんか建てるもんじゃないと思ってた。。。
そして、まず最初に見たのが、市営住宅情報だった。とにかく家を出たかったので狭くてもアパートで家族4人ひっそり住めたらいいや。と思っていた。が、しかし入居条件にひっかかった、旦那の収入が中途半端に少し多かったのだ、、、そして軽度知的障害の息子の存在だ。
息子を育てるには広い場所に住まなければ全員ストレスでやられてしまうだろうと断念した。
ダメだ、市営住宅は諦めよう。
次は、不動産屋を検索した。すると市内で1件だけヒット。
すぐさま、不動産屋にメールを送信した。あいにくその日が不動産屋の定休日だったので翌日電話がかかってきたのだが、私は相手の声を聞いて完全に変なヤバいとこに電話をかけてしまったかと思ったのだった。
電話の相手は男の人で、コテコテの関西弁だった。
なぜ、市内の不動産屋が関西弁?コテコテ、ここは長崎の田舎町。なんか間違えたかな、ヤバいかな、騙されてるかな、とても不安になって不動産屋さんのこと調べておこうと思い、ちまたで顔がめちゃくちゃ広い友達に相談した。
友達は、べつの友達に聞いてくれてすぐさま連絡をくれた。
「話し方あんなんだけど、良い人みたいだよ」と教えてくれた
あんなん。
そう、あんなんしゃべる感じに慣れてなくて恐かったのである。
数日後のコテコテの関西弁の不動産屋さんと平屋アパートを見に行った。
電話ではコテコテ関西弁だったが、会うとアッサリ風味だった。
性格はストレートだった。
なぜなら、賃貸アパート見に行ったのに不動産屋さんは、賃貸じゃなくて、家買いませんか?と言ってきた。
え、は?やっぱ怪しい、、家買いませんか?とか全然想定外。
そこから20分くらい不動産屋さんの「借りるより買いだ」プチセミナーが始まったのだ。
めちゃくちゃ怪しい人かもと疑いつつ嫌いじゃない内容だった、むしろ食い付いてしまった。少し考えることにして不動産屋さんに連絡を入れ直すことにして帰ってきたが悪い話では無かった。
でも申し訳ないけどあのコテコテの関西弁が妙に怪しさを生んでいる。
たしかに、賃貸はもったいなかった。不動産屋さんからも、まだ若いからローン組めるし買う方で考え直して探しませんか?と提案された。持ち家なら賃貸アパートよりも広いし自由自在。息子がドタバタ走り回っても気にならない。
でも旦那が家を買うことに踏み切れずにいた、彼は長男坊だ。持ち家がある。今は旦那の父が所有している。
でも全然持ち家を譲る話は無く、母屋は義父母が住んでいて盆と正月に義妹家族が遊びに来るので私達家族は14年間ずっと8畳二間で生活している。娘が小6、息子が小3、それぞれのスペースは無くて限界にきていた。
同居の決まりのように帰省した義理の妹の子供の面倒もおまけで毎回付いてきて細かい事でモメるのも疲れてきていた。(ウチの息子が勝手に義妹の娘用に買っておいたパンを食べたと義母が怒るのが恒例)
帰省中に子供達連れて朝からお弁当作って公園で遊び夕方温泉で汚れを落として帰った時に、帰りが遅くなりスマホにLINEのメッセージが義母から入っていた。あのメッセージを見て、怒りで震えた・・・
「早く帰ってこい」と一言だけ入っていた。
我が子と姪のお風呂まで世話したはずだが、、、
結局、快適なのは長男坊の旦那だけ。
でもある時、私が我慢の限界に達して旦那は私と子供達のため家を買うことになったのだ。
これがまめ家の歴史上恐ろしい事件「家を慰謝料的に請求事件」である。
あの頃は、覚醒して何もかもすべて吹き飛んだ。
何も恐くなくなった。
私は当時、焼き菓子を作る仕事をしていた。土日も旦那の都合に合わせて仕事に出ていた、子供達のお世話は旦那にお願いしていた。
旦那は料理以外の家事は出来るので、とても役に立つ。
子供達の面倒もよく見る方だと思う。
だが最近少し私が仕事の時や、娘のバスケの試合で留守の時に限って義母と旦那と息子だけで出掛ける事が増えていた。最初は特に気にしていなかったが、買い物ついでにお昼に3人で回転寿司へ行ったという息子の報告が2~3回と続き、バスケの試合で買い物も回転寿司へも行けてない娘が耳にして泣き始めた。
モヤモヤしながら、日を改めて娘を回転寿司へ連れて行ってあげたりしていた。
そしてまた、バスケの試合で私と娘がいない日に事件が起こった。
またしても、3人で家の電話が壊れたらしく義母が旦那と息子を誘って家電屋へ行き、お決まりの回転寿司コースで帰って来て電話が新しくなっていた。
学校からの連絡は家の電話にかかってくることが多かった。
義母も旦那も電話が新しくなったという報告が私には無く、親子二人で最近家電の買い物をネットで注文したりが増えていた。
義父母は、息子である私の旦那には買い物に付き合ってほしいという頼み事は直接するのに毎月家の支払いを最低でも3万払って欲しいとか男を産めとか家の片付け、家にいる時は洗濯もをたためと昼前に言って来たり、旦那が聞いたら怒りそうな注文を私にだけ押し付けてくる。
良い時だけ旦那に相談してくるので親子の関係は悪くなるはずがない。
ある時、旦那宛ての荷物が届いた。
品物が家電製品のようだった。
あぁ、またか。と思い義父母の方のリビングに荷物を置いておいた。
すると、義母が部屋にやってきた。
この荷物は、旦那宛てになってるからウチのじゃない。と持ってきたのだ。機嫌が悪かった。
同居してると玄関が同じなので荷物の受け取りだけでもモメるのだ。
義母は、自分宛てではない荷物の受け取りをすると機嫌が悪くなる、、、
娘宛てで誕生日に注文した荷物も毎回人が来ると玄関に必ず出るのが義母なので自動的に荷物の受け取りをしてしまうのは誰のせいでもないと思うが、何故か受け取ってしまう義母は孫宛ての荷物でさえ、私達の部屋の前に荷物を放り投げる。
私に突き付けてきたものは親子で注文し義母が頼んだ荷物だった。
そこで私の何かが切れてしまった。
どういう事?
私が知らない間に親子で注文したものをリビングに置いておいたのに
なぜ突き返されなければならなかったのか、しかも機嫌悪く。
すぐさま、旦那に荷物の中身を確認すると
義母から注文してほしいと頼まれたものだった。
もう限界に来ていた、怒りに震えまくっていた。
同居でやってはいけないことを旦那と義母はやってしまったのだ
それは、嫁のいない時に親子で買い物したり嫁には話をしないことを親子で話したりすることである。
せめてバレないように上手くやってほしかった・・・
帰って来た旦那に怒り狂った私は何も恐くなくなっていたので
離婚を申し出た
子供達連れて家を出たいとお願いした。
本気で言った、今まで子供達の世話は私は完全にやっていたので育てることに迷いとか不安は無かった、支援してくれる福祉もあるし養育費は旦那から絶対引き出してみせる自信もあった。
私抜きでも困らないような態度での同居は耐えられないと旦那に告げた。
私がいない間にこっそり行動したりするなら子供達を連れて出て行くと決めたことを伝えた。
すると、旦那は「いない時じゃないと買い物出来ない時もある」と反論した
さらに何かがプツリと切れた。
義父母の理不尽な要求や発言、都合が悪い事は全部私に言ってきていたことを旦那にはずっと黙って生活してきていたことを話した。
すべて同居しているから我慢していたことだった。
私の存在は、ただの使用人のようになってきていた、子供を産めば用なしなのか。
子供が大きくなるにつれて私に対する扱いや要求も雑になっていた
本当に色々なことが全部押し寄せてきて我慢の限界だった
もう今の場所から離れたかった
旦那は跡取り長男なので連れて行けないから3人で出て行くと決めた
もうどうなってもいいから離れたかった。
毎月義父母に払っている月々の光熱費のお金も4万円で我慢して同居してる身としては4万円の価値がそこにあるのか疑問で、どうせなら自分が納得する生き方でお金は使いたい。今の4万円は無駄なことをしている。今まですべて起きたことを話したあと、旦那はホントに知らなかったらしく
素直に私に謝ってきた。
今まで旦那の知らないところで私は傷ついてきた。
第二子の妊娠報告をしたら、跡取りの男を作れと旦那のいない時に義父母に言われていた事、旦那は今まで知らなかった。この出来事ばかりは、本当に許されない発言であるし、下手したら精神を追い込まれるレベルの出来事だ。母子ともに健康を保ち生まれてきた事だけでも良かった方だ。
本気で泣きながら謝ってきた旦那に私は言い放つ
「どうする?離婚する?それとも付いてくる?」
旦那は迷わず「付いてくる」を選択した。
「じゃあ、責任とってね」
こうして旦那は、私の為に責任を取り新居を買うことを決めたのだ。
これが、「家を慰謝料的に請求事件」の全貌である。
我が夫婦は一致団結し、同居を解消するために家を買って引っ越しする作戦に出た。
それが噂の「まめ家作戦」
不動産屋さんにも事件の全貌を話したら全力で協力してくれることになった
事件内容にめちゃくちゃ笑っていた、そこは結果オーライ関西人で良かったと思った。
ホンマにもうwと笑ってくれて救われた、これを真面目に受け止められてたら逆に気が重くなっていただろう。
頭がぱか~ん!したので考えるのをやめて思いのままに荒れ狂うことにした。
ここから本気で家を探し始めることになった。動き出したら止まらない私は1人で平日にハウスメーカーを回り始めた。
何社回っただろうか、、、ゼロ知識で色々説明されても全然頭に入って来なかった、この数か月辛かった。知識をふんだんに詰め込んだ、詰め込んでもわからないことも多かった、途中で嫌になったこともあったし心もバキバキに折れた。
でも自由を獲得するチャンスは今しかないと必死で土地も中古の戸建ても探し回った。こんな田舎にいい条件の土地や戸建てを見つけるのも一苦労であった、古民家過ぎて改修費用が膨大だったり、畑だった土地を地盤改良して建てるのも莫大なお金がかかる。補助金は、雀の涙。
空き家問題にぶち当たる
古い家が好きなのに住めないもどかしさ、お金がかなり必要だった。
もっと貯金しておくべきだったかと反省した
色々考えた
引っ越しの夢が消えそうになっていた。
そんな時に電話が鳴った、不動産屋からの電話だった
一件だけ目に付けていた中古物件があったのだが、悩んでるうちに他の人から奪われた物件だったが少し都合が悪くなり舞い戻ってきたのだ。
これは絶対なんとしてでも買うしかない
築43年の物件で古いのだが、一目で気に入った場所があった
縁側だ。
広くて陽当たり抜群、東向きで海から朝日が拝める素敵な縁側だった
旦那を連れて早速仮契約をして融資先を決めることになった
この融資探しも山あり谷ありで地獄だった。
年末年始、融資先に書類を送ったり本当に大変だった、二度とやりたくない作業だ。人からお金を借りるのがどんなに大変か初めて知った。
預ける時はめちゃくちゃ簡単なのに・・・
年明けてしばらくすると、不動産屋さんから連絡があり、融資が通った。と知らされた。
あの時は本当に嬉しかった、自由権を獲得してやっと解放された気分だった
よしよし、これで完璧と夫婦で頷く。←(一致団結した悪意満載の夫婦)
義父母に家を買ったと清々した気持ちで伝えた
買ってしまった以上、反対はされるまい
夫婦でひっそり水面下で作戦を遂行していた
まさかここで引っ越すなんて思いもしてなかったようだった
作戦は成功。
後ろめたさは自分を苦しめるだけだと思い割り切った
自分の人生をやっとスタートできる。
こんなに清々しいことなかった
家探しから融資審査、契約完了までカオスだった
思い出しても疲れる。
でも笑える、こんな山あり谷ありな時間もう無いと思う
こんな経験出来たのも色んな出会いがあったからだ。
住宅ローンを旦那が全力で借りて、私が密かに貯金してたお金も全力で引っ越し資金に充て、劇的リフォームが今始まっている。
その劇的リフォームも山あり谷ありで前途多難、空き家オプションの雨漏りトラブル、工事を始めるごとに問題続出、笑うしかない。
たとえ貧乏になっても家族4人、縁側で朝日浴びながら生きたい
そして早く住みたい。
※良い子はマネするんじゃぁないよ☆
サポートしていただいたものは子供達の活動費として使わせていただきます、活動内容は記事にして報告させていただきます。