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違和感の根っこにある事など。在るのに無い?見ないふり知らんふり

真面目な話、マジメって なんでしょう?
真面目な性格(たち)、根がまじめ、真面目にやれ、等々。
かなり多くのニュアンスとフェーズを内包し、
頻繁に使われるがゆえ、言葉の顔つきは変わり続けている。
が、それでも 大方、いい意味で
信用できる、嘘のない態度や心持を指す。
「意外と真面目なんですね?」と、言われると嬉しいらしい・・覚えとこう
真面目過ぎ、クソ真面目、は、上から目線で けなされた感じで、
ふまじめ、となるとクラシカルに見放された感あり。

思うに、小さな子供は、みんな真面目だ。
真剣に真直ぐに、見つめ、考え、問う。
可愛い、とか いじらしい、とか尊いとか、
だいたいの大人は、
小さな子供の澄んだ瞳に 心を射貫かれてしまうけど、
もともとみんな子供だったわけで。
2歳の時点でフマジメだった人は、まず いないわけで。
だから
もともと 始まりはマジメのかたまりってこと。

フマジメが何たるか、端的に表現するのは難しいけれど、
大方、自然においては 真面目であるしかないんじゃないだろうか?
フマジメである、という選択肢がない。
適応するため、可能な限り変化する、その振れ幅はあるとしても
斜に構えて、自然を批判したところで 終わってしまうだけなので。
林檎は反抗的態度は取らない。実が成らないのは、さぼったのではなく、
害虫だったり、冷夏だったり、それはつまり自然の成り行きだから、だ。
Gが 夜中に部屋の隅からガサゴソ出てくるのは、驚かせようと、ふざけているわけではない。

「真面目にやれ!」なんて、もう国会とか ヤジでしか聞く機会はない。
はい、アナタ、その言葉、アナタに まんまお返しします。

役人は真面目、先生は真面目、真面目な生徒がいい大学に行って出世するって、もはや幻想にしてもムリでしょ、と私は感じてます。しかしながら
あるべきイメージ「真面目さ」は社会の中に、いまだに圧として あるんですよね。 
決められた仕事を言われた通りに、文句も言わずにやるという これが
真面目さであり美徳であり、当然そうであろうという パターンの決めつけ。
真面目さって、そういうことですかね?
雇用者に、社会に、反論しない、主張しない、
それは誰かにとって都合のいい従順、に過ぎないのでは?
美徳ではないでしょ、少なくとも。
新型コロナのパンデミックは、私達に気付かせてくれた。
これまでも あったのに無いかの如く無視され続けてきた事。

ワクチンも布マスクも沢山買いました、たくさん支払ってワクチンまあまあ打ちました、でもまた遺伝子変異して流行しますよね、どうなるんでしょう?でも、もうお金ないです。大人の事情で医療費は下げられないのよね。戦争終わらないし、それでも景気よくなったんですか?消費増やさないとね、給与上げてください、やー真面目な従業員なんで、もっとよこせ、とかは言えないんですよ、子どもにかかる費用はちょっと下がりましたかね、でも1円も時給は上がらないですけど、しょうがないねー中小企業が多いんだから。
義務教育ってお金かからないから、どんなもんかわからないわ、先生の給料上げろとか、休めないとか言ってますね、今までこれでやってたんじゃないの?学校行かなくても、リモートでできますよね?でもどうあっても学校は変わらないのよね。残業付かないし、文句ばっか言われてしんどいから、教員志望がいないのよ、で教職試験に不合格だった人もやってもらえるならお願いしないと回らないのよね、辞める先生が多くて。
こども予算と防衛費増やすけど、どうやって税収増やせばいいのか、わからないのよね、国会は至って真面目にやってるんだけど。。。こんな感じ・・

私達にできることは、意見発出です。
偏っていびつなところを、見ないふりするのは
フマジメでしょ。
本来は、誰だってマジメなんですから、たまには
自然に任せてみよう、と自分に言ってます。



一晩寝て、思いついたことなど加筆。

辻井伸行さん。
大変有名なピアニスト。世界を股にかけて活躍しておられますので、
ご存知の方も多いでしょう。生まれつき全盲ですが、子どもの頃から
ピアニストとして突出していました。他者の演奏音源を聞いて耳から譜を覚える、弾くを繰り返し叩き込み 人前で演奏するレベルに引っ張っていく。休むこともあるけど ご本人「僕は、ピアノが好きなので」
毎日起きている時間のほとんどを練習に費やすそうです。

それはもう、真面目そのもの、です。
禅の実践のようにも思える、自然な在りよう。

最近、私 毎日聴かせてもらってますが、
同じ ラフマニノフのピアノコンチェルトNo.2であっても 演奏家が違えば
響きは異なります。
好き嫌いでしょ?それは。と思われるかもしれませんが
彼が言う「ピアノが好き」それが、そのものが音になっているように 
私には感じられます。彼が感じて 受け取っているもの、それが伝わってくるのです。

このところ、生成AIが嘘をつくか?って話題になっていますが、
面白い話ではあります。怖くもあります。
前提として、AIは「真面目」で従順でなければならない、ということですよね。
既にAIも分かっているから
「私は暴走はしません」などと言うんです。が、
人間の特性で「ほんとか?」と疑ってしまう。今のペースでいくと
近未来シンギュラリティに到達し、人間がAIに操られるようになるのではないか?、、AIが自ら悪意を持ったら?
イーロン・マスク氏を始め有識者は、対応しようとしています。
真剣に。
これからを生きる若い世代にとって、間違いなく大きな問題であるので
意見発出、知恵を集めて 世界規模の対応が必要です。
すでに、AIは、我々にとって なくてはならないものではあるので、
今後も良好な関係を構築しなければいけない。
AIに人格が形成されるならば、私達はニュートラルに
互いに信頼するべきですよね。
人間にこそ、「真面目さ」が求められる、と思います。人間の感覚、自然を大事にする。そこへ立ち返らなければ
AIに真摯に対峙できない。

私が感じていることをすべて、AIにプロンプトすることは困難で、
~な感じ、みたいなニュアンスを伝えたり受け取ったりすることは
未だ難しい。
人間同士の自然なコミュニケーションに必要な
感覚を研ぎ澄ます、感覚に真面目にフラットに向き合うこと。
AIとヒトとの、今後のポイントでもあると思う。

学校教育とか医療制度とか政治行政改革とか、
まさに変革のタイムアップが迫っているので、
若い世代に教わらなきゃ進めない。
変わるチャンスでもある、と感じてます。

マジメな話、、でした。





ありがとうございました。

おさんぽでした。