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わたしが不登校になった理由

癒しの種を蒔く、早織です🌸

高校生のとき、学校に行けなくなった時期があります。

そのときのことについて少し綴ってみます。
不登校の原因は人それぞれですが、もしかしたら深い部分であらゆる悩みと繋がるものがあるかもしれません。

中学までは地元の公立で高校は受験して入学しました。

中学時代まではいわゆる優等生で勉強するのは苦ではなく、当たり前にやっていました。
大好きな両親やお気に入りの先生に褒めてもらいたくて。
また、どんな学校・どんな職業を目指したら喜ばれるだろうかと気を回していました。
これらは、子どもだったわたしには無意識のことでした。

でも、高校に入ってから次第に勉強を拒絶するようになりました。

自分の意思や存在がわからなくなったからです。

中学までは、いろいろな人がいました。
スポーツが得意な人、絵の上手い人、笑いのセンスのある人、やんちゃ盛りな人。
そしてその中で、勉強が得意な自分。

高校ではみんなが当たり前に勉強をしていました。
推薦入試で入った勉強の苦手な子はおどおどしてしまう人も多く、周りからは白い目で見られがちでした。
先生達の基本の指導はこのようなものです。
「この問題が解ければ、〜くらいの大学に入れるよ」「◯◯点取れれば大丈夫だよ」

わたしはそのような環境でふと、わからなくなってしまったのです。

「あれ、いままで何のために勉強してたんだっけ」

勉強さえしていれば偉いのだろうか。
自分がいったい将来なにををしていきたいのかも考えずに、
将来とても役立ちそうもないことを言われるがままに覚えてひたすら机に向かってやっと入れる大学はそんなにすごい場所なのだろうか。

体育の先生がその高校で選抜クラスの出身だと分かったとき、
ある女子生徒が言いました。
「先生、どこで間違えちゃったの?」と。

その学校の中では、勉強のできる人、偏差値の高い大学に入る人が偉いのです。そしてその良い大学に入れば、安定の将来が約束されていると信じられていました。

わたしは、そのような風潮にクラスメイトや他の生徒達が何の疑問も抱かないことが不思議でなりませんでした。

自分だって、中学まではきっと心のどこかで周りを見下していたのです。
ゾッとしました。
そんな子どもが大人達から喜ばれていたということに。

感じたことやおかしいと思うことを大人達に主張し、反抗しましたが、否定されたり目を背けられるばかりでした。

わたしは途方に暮れて塞ぎこみました。
どんなに違和感を抱いたって、そこから先の生き方がわからないのです。

だって、大好きな大人達を信じてやってきただけだったから。


5年かかってやっと、「これが自分らしさかも」と気づくきっかけがあり、そしてまた数年で紆余曲折ありながらも今ではやりたいことを見つけています。

わたしは今が1番幸せです。

でも、本来は義務教育時にもっと一人一人の個性や人間らしさを認めて
伸ばしていくべきではないでしょうか。

不登校の子ども達はみんな闘っていると思います。
傷つけられてしまった、自分の大切な何かを守るために

もし身近に頑張ってないように見える人がいたときでも、
その人はもしかしたら自分の中で闘っているのかもしれません。

自分らしさ、一人一人の意思やペースが尊重されるということが
もっと基本になっていってほしいと願っています。


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