完璧主義者だと言われる:味気(ダスト・エッセイ)

完璧主義者だと言われる。

創作においては、不器用なものを不器用なままは出さずに、何か後付けや取り繕いを持ってして、抜け目の無いように足掻こうとする傾向にあるように思う。

カッコつけたがり屋である。

一年前、短期間の文章を書く教室に通っていた。詩人の正津勉が担当する社会人講座で、とはいっても現役で働いているのは僕くらいで、あとは皆リタイアした人々だった。

こうして文章を書くようになったきっかけは、学部4年生だった2019年度にこんなふうに文章を書く講義を受講していたことにあり、2022年春にそれを個人的に再開し、今日に至るまで毎週続け、その間の2023年梅雨の時期に先の講座を受けていた。

書くようになってから、いわゆる指導を受けたのが、これに限る。

今でも思い出す先生のアドバイスは、たったひとつ、切実なひとつ、君の文章はたしかに面白いしよく書けているが、好きだとは言えない、きっと君がうまいことやりすぎて、味気ないのだと思う、君の弱い部分を出してみなさい、そういうものだった。

人は、人の弱い部分に、惹かれるんだよ、それに気づかされた。

一年前の文章たちは、それを踏まえた新しい挑戦で書かれていた。

いくつかの文章を読んでもらっただけで、取り繕う自分の生き様を見破られたように思えた。

文学作品とは何かということで、誰かが言っていた。作品には、口下手な人や、社会的に不味い発言をしたい人が、その想いを、わかりにくく書いている。そうすることで、一応は外に出す。

先のアドバイスでは、君のその”よく書けている”部分もまた、絶対になくさないで欲しいと言ってもらえた。

この一年、上手いこと後悔を、上手いこと懺悔を、上手いこと恥を、上手いこと悩みを、上手いこと悲しさを、書いてこれたか。

これからの一年、”上手くてカッコいい”完璧主義者から、”上手くて味気のある”完璧主義者として、書いていけるか。

(2024年5月23日投稿)

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