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何もかも投げ出したくなったら。

何だか毎日疲れてる。もしくは、疲れたと感じながら生きている・・・。そんな人は多いと思う。疲れがたまってくると「もうイヤだ!」と、何もかも投げ出して逃げ出したくなる時もある。

仕事で成果が出なかった時、人間関係のトラブルが続いている時、子育てや介護でいっぱいいっぱいの時、恋人や大切な人に裏切られた時、何もかもがうまくいかない時・・・。

50歳をとうに過ぎた私ですら、たまに何もかも投げ出したくなることがある。とはいっても何もかも投げ出して逃げるなんてことはできないし、やってどうなるものでもないのはわかっているのだけれど。そんなこと言ったって現実的にしょうがないだろ、と自分でツッコんでみたところでやっぱり「もうイヤだ!」という気持ちがなくなるわけではない。

そんな時って、だいたいカラダもココロも疲れているのだ。普段は疲れていることを見せずにガマンして仕事をして、家のことをやって、ダンナのことをやって、と何とか乗り切っている。でも何かの拍子にミスをしたりダンナの体調が崩れたり数値が悪くなったり、義母が面倒を起こしたり・・・なんてことが続くと、疲れたカラダとココロが「投げ出したいスイッチ」をいじくり始める。

「どうしてうまくいかないの!」「どうして次から次へと降りかかってくるの!」大声で叫びたくなる時もある。泣きたくなる時もある。

でも、狭い家の中ではなかなかできないわな。

投げ出したくなったところで明日は来る。やることもある。まあ、終わらない問題というのは無いので、投げ出したくなりながらも自分をうまくなだめて機嫌をとってやるしかない。それが日々を生きていくコツなのかも。

何もかも投げ出したい、もうイヤだ! となった時、なりそうな時、私の場合はまず「寝る」。布団をアタマからかぶり、時には枕に顔を押しつけて「ああもう面倒だなあ!」と声に出す。そしてとにかく早く寝てしまう。やり残したこと、風呂、スキンケア、みーんなパスして寝る。朝目が覚めると、意外にアタシ大丈夫じゃないかという気持ちになる。

外に出た時は、周りの人をなんとなく見てみる。みんな悩みを抱えているなんて感じさせずシャキッとしているように見えるけれど、もしかしたら疲れているのかもしれないなあ・・・。疲れているかもしれないのにちゃんと大人をやってるのはスゴイなあ・・・などと考えてみる。ま、みんなそれぞれに大変なんだから、アタシももうちょっとやってみようかね、という気持ちになる。

料理をする。達成感のあるものがいい。たとえば餃子を一気に100個くらい作る。あんを作って、そこから一つひとつ包んでいく作業を黙々とやっていると、全部包み終わる頃には結構気分が変わっていたりする。100個の餃子を並べると、何かコトをやり終えたという不思議な達成感があって、意外に気分転換になる。

大声で叫ぶのは難しいので紙に書く。紙やノートにこの「もうイヤ」な気持ちを書き出す。誰に見せるわけじゃないので、どんな汚い言葉でもかまわない。自分の手を使って書くことで自分のココロにたまったものを客観視できる。紙に書いた時は、書き終えて読み返してビリビリ破ってしまうのもいい。これでおしまい、と。

・・・とまあ、投げ出したいモードの時も何とか自分をなだめすかしながら暮らしている。誰もがもがきながら生きているし、頑張りたい、頑張らなきゃと思っている。でも報われないことも多いし、周囲がわかってくれないことも多い。なぜ自分だけがこんな目に・・・と思うこともたくさんある。

何もかも投げ出したくなる気持ちを抑えるのではなく、そんな気持ちになったって、いいのだ。そんな風に思っている自分を俯瞰で見てみるのもいい。「何もかもイヤだーー!」となっている自分を「うんうん大変そうだなワタシ」と眺めているイメージ。これをやっていると、少しずつ落ち着いてきたりするもんだ。

投げ出したくなるのは、カラダとココロの両方が疲れているから。疲れているなら休めばいい。自分の時間を、自分が休むためにきちんと使えばいい。ちょっとした気分転換や休める場所はあちこちに転がっている。

そんなわけで、今日も風呂に入ってさっさと寝るぞ! 寝てしまえばつまらんことは考えなくていいのだ。




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