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双極性障害の私がホットヨガを再び始めてみた話

こんにちは、Keiです。

ここ1週間くらいはとても体調の良い私です。
双極性障害という、躁状態とうつ状態の波のある病気と闘っている私です。

そんな中、運動不足解消と外に出るきっかけづくりとして1年半ぶりにホットヨガに行ってきました。

ホットヨガスタジオには娘を妊娠するまで通っていて
ヨガにどハマりしRYT200の資格まで取りました。

体調がよくなってきた私は、そろそろ運動しなければ!
外に出るのも大事なことだと思い、以前通っていたスタジオに再入会。

またホットヨガをする機会を作りました。

1年半ぶりのスタジオだったにも関わらず
私のことを覚えていてくださったインストラクターの方々に心がほっこり。

私はいつも、リラックス系のヨガを受けていたので
今回もリラックスヨガを受講しました!

とにかく、ホットヨガは汗をかけます。
普段運動していない運動不足の私にとって
運動して汗をかくというのは病気の治療にも良いのではないかと思っています。

1年半ぶりのホットヨガは相変わらず最高で
終わった後も体がポカポカ、気分もすっきりしていて
とても良い気分で帰ることができました。

運動は苦手は私ですが唯一好きなのがヨガでした。
ランニングとか球技とか全然できない私にとって
ヨガは「今の自分と向き合う」ことができる最高の運動だと思っています。

ヨガは綺麗なポーズを取ることが正解ではありません。
むしろ、どんな形でもいい。自分の呼吸と向き合い
ありのままでいい、というのがヨガ哲学の考えです。

ポーズがへたっぴでも、体が硬くても(私も体はめちゃくちゃ硬いです)

なんでもいいんです。

ありのままの自分でいることを許してくれるのが
ヨガなので、そんな部分に私自身も惹かれたのかもしれません。

ヨガの最終目的は「ポーズを綺麗に取ること」とかではありません。

最終目的はヨーガスートラ第2節に書いてあるように、「心の作用を死滅すること」。

つまりどういうことかというと

わたしたち人間には一番内側に「本質的なわたし」という存在があります。このヨーガスートラの訳でいうと、「見る者」「自己」と表現され、他にわかりやすくいうと「魂」「本質」「普遍の意識」などと表現できるかもしれない「本質的な存在」があります。それは普遍であり無くなることのない存在です。

心の作用を死滅させる、つまり、外側からの影響を受けず「本質的なわたし」がそのままでいられるときには、わたしは「それ本来の状態にとどまって」いられます。つまり、外側からの影響に右往左往せず、普遍な存在としてどっしりしていられるということです。
しかし、第4節に書いてあるように、心の作用を死滅していないとき、つまり外側からの影響を受けてしまうときは「心の様々な作用に同化した形をとっている(ように見える)」状態になって右往左往します。
例えば、悲しい出来事が起きたときにそれは「悲しい」と感じる感情や心の作用が働いているだけなのに、「わたし自身は悲しい存在のものだ。わたしは不幸だ」と思ってしまう。困った出来事が起きたときには「困った」と感じる感情とそう感じさせる出来事が起きているだけなのに、そこに「わたし」を結びつけて「わたしは困っている。困ったことになった。困った困った…」とより深く「困った」の世界に入り込んで必要以上に困ってしまいます。

人間はそうやって外側で起きる出来事や現象に影響を受けやすいものだけれども、
心の作用を死滅することで「本質的なわたし」「自己」は普遍であり無くなることがない存在であることを忘れないでいられますよ、普遍な状態にとどまっていましょう、といっているのがヨガの教えです。

普遍なわたし、でいると、現実にどんな出来事がやってきても対応できます。
どんな出来事にも対応できるので、この世界で動じずに穏やかに暮らしていけます。

では「どうしたら心の作用を死滅できるの?」「普遍なわたしはどうしたら感じられるのだろう?」という方法を探すうちに編み出されたものが、アーサナ(ポーズ)の練習や呼吸法です。
アーサナ(ポーズ)や呼吸法は、最終目的のための過程、目的に到達するための実践方法のひとつ、なのです。
がんにかかると「わたしはがんなんだ」「わたしはがん患者である」と自然と思ってしまいます。そして悲しくなったりショックを受けたりします。すると「わたしは悲しい存在だ」「わたしは不幸だ」という考えにすすみがちです。
しかし、本質的なわたしはそのものの存在、普遍な存在です。
「普遍な存在であるわたし」は変わることなくそこに在って、外側の現象として「その体にがん細胞ができた」「それを知ったら悲しいという感情が動いた」という事象が起きているだけなのです。

「わたし」と「現象」を結びつけない。

そうすると目の前の現実に正面から向き合えるようになります。
だって、どんな現実や出来事が起きても「わたしは普遍である」から変わらないもの。だから何があっても大丈夫。わたしは無くなることもないんだから。

こう捉えられるようになると、
「では治療はどうしようか?」「生活はどうしたらよいのか?」
という、病気のときに考えなければならないことや具体的に進めなければならない現実問題を冷静に解決していくことができるようになります。

実際にわたしも、告知を受けたときや治療をすすめていく間や入院期間、またどの治療を選ぶのか考えるときに、周囲が驚くほど冷静で「わりと普通のテンションで」いられました。
当時はなぜなのか気がついてもませんでしたが、ヨガのこうした思想が根付いていたからこそ、またそれまでのアーサナや呼吸法の実践を通して「普遍なわたし」があることをうっすらでも感じていたから、冷静にがんという現実に向き合えたのだと思っています。

yogalog

ちょっと長い引用になってしまいましたが、
つまりは「現象」と「私」を結びつけないこと。

私であれば現象は「双極性障害と闘う私」だけど
だからと言って私はとてもダメな人間だ…とか
私は不幸だ…と現象と私自身を結びつけないことなのです。

双極性障害なのか。私。なら、どうしたら、
この病気と上手く付き合っていけるかな?

そう前向きに捉えていくことがヨガの最終目的だと言っています。

こんなヨガ哲学に心を惹かれて、RYT200を取ってしまった私です(笑)

なかなか、現象と自分自身を結びつけないというのは難しいことだけれども、自分の現象に悲観せず
できることからやっていきたい。

ヨガを通してそう感じました。
これからも無理ない範囲でヨガを続けて
病気とうまく付き合っていきたいなと思いました。

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