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消えたい夜を数えたとて

強い意志のある人間に見られたくなったので、髪の毛をえげつないほど短く切った。(母には少年みたいだと言われて、少し不服だ。)

大した勇気もなく平凡に収まろうとするくせに普通で退屈なのは嫌いだから、自分の範疇に収まる程度の冒険をする、もしくはコモンセンスに対してささやかに抗ってみる。
それが私のくせで、だんだん髪を短くしてみたり、たいそれた本を買ってみたり、まずそうなジュースを買ってみたり、ユニセックスの服を着てみる。

あんまり女優の名前を(海外の方であればなおさら)覚えられないのだけれど、アンハサウェイは唯一覚えているほどには好きな女優だ。ベリーショートにするのも、アンハサウェイを参考にした。
何かを捨てるように髪を切ることはよくあるけれども、アンハサウェイほど思い切って切れる人はなかなかいない。
アンハサウェイの位置と近いところにいるアジア人女性であることがここ三日の自分の評価ポイントだ。

アンハサウェイでふと思い立ったので、金曜日の夜に聴くには暗いけど、「I dreamed a dream」を聴く。レ・ミゼラブルの映画で泣き叫びつつアンハサウェイが歌うこの歌が好きだ。

帰りの電車でたまたま読んだやるせない思いで書かれた文、それによって思い出した友人や、過去の記憶、読みすすめられなかった本などが、曲に乗せて芋づる式で掘り起こされる。

幸せを全身で浴びている時より、自分は惨めだと思う時のほうがヒロインぶれる。惨めなエピソードがわかりやすく惨めであるほど。
とはいえ私たちが抱く惨めさのもとはそんなわかりやすいものでなく、人と比較するものでもないけれど、人にとっては些細に感じることが多い。
けれど自分自身にとっては致命傷なのだ。
惨めさは、のちにサクセスストーリーになる兆しがあるからきらめくもので、大体は惨めさは適当な形で若干報われるか、土に埋まっていくしかない。それが何より惨めだ。

自分の価値を自分が納得する形で担保するには自己ストーリーを磨くことが大切で、その材料に惨めさを使うことは、ダイナミックで美しく仕上がるけれど、不健康だなぁとも思う。こじらせて自他共に傷つけることもある。

生きるため、生きていいと思うためのエネルギー源は、自分の状況や他者評価に左右されないところに設定しないといつか破滅する。
けれど、この世界に生まれ落ちた私たちは、私の点数も他人の良し悪しも相対でしか判断できない頭にしか教育されていない(本当は私たちが相対的だと思っているものは結構絶対的視点ではあるけれど)。

自分で訓練しなきゃいけない。
在るものは在るだけで美しいこと、もはや美しいとかすらどうでもよく、ただ良いと受け止めることとその感性、気持ちのコントロールを。

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