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たまに叱られたくなる

 
もう少し教育されたい。
そんなことをぼんやり考えた一週間だった。

20代後半になり、今の会社に入ってからも約2年が経った。一番年下なのに代わりはないけど、年上の後輩が入ってきたりして、色々任されることや教えることが増えた。
仕事ができるから!と年次の割に合わない、ありがたい下駄を履かせていただいている。それは恐れ多いことなんだろうけど、その分少し、さみしさのような気持ちも抱く。

休日、年上の友だちとお茶をしながら、「今の仕事からさらにスキルを増やしてステップアップしたいから●●を勉強しようと思っている」という話をすると、「それだったら○○の方がいいんじゃない?」とアドバイスをしてもらって、さっそくそれについて調べたりした。最新、他人からのアドバイスがより嬉しく感じられる。
私の考えることはある程度正しいと自分で過信していたり、実際他人からそう思われていたりしがちだ。だからちょっと遠いところから見守ってくれている感じの距離感の友だちからの言葉は貴重だ。


私は、私に対しての興味がまだまだ尽きない。
何が不快で何がちょうどいいのか、どんな癖やムラがあるのか、どれくらい歩けてどれくらい休めるのか、何を美しいと感じ、何を正しいとするか。私にとっての私はどうか、他人にとって私はどう見えているか。それを知ることに心を注いでいる。さらに、知ることで、より自分を高めようと改良したり対策をとって生きやすくしたいとも思っている。

少し前の私は、私のその「私らしさというもの」を守ることにどちらかというと必死で、簡単にわかられてたまるか!とメンチ切ったりしていた。
今でも適当にわかった顔されるのは嫌だけど、それより「わかってもらいたい」が強い。他者を通して自分をより明確にしていく作業。

適切に把握されて、足りないところを磨かせてほしい。私が何をしたらいいのか、正しく教わりたいのです。

神よ、わたしを究め わたしの心を知ってください。 わたしを試し、悩みを知ってください。
詩編‬ ‭139‬:‭23‬ (聖書 新共同訳)

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