ポジティブフィルター
最近、「応援」というテーマで、子どもとのエピソードを書いた。
うちの息子は小さい頃、できないことがあると、
「ママ、応援してちょうだい!」
と、涙目で私の応援を求めた。
洋服のボタンを自分でうまくとめられない時や、蝶々結びがうまくできない時なんかに。
その時、息子が私に求めていたものは、
「あなたならできるよ。」
と、自分を信じて待ってくれる、ポジティブな祈りだったのではないか。
きっとできると信じる気持ちを含んだ、親の「応援」の甲斐あってか、彼は、ボタンも蝶々結びもできるようになった。
♢♢♢
一方で、「心配してる」と言われることがある。
その人は言う。
「風邪を引いてないか、いつも心配してる」
「運転するときは、事故に遭わないように気をつけてね」
その人は愛情深い人だし、「すべてうまくいくように祈ってる」という意味で言ってくれているのはわかる。愛情表現として「心配」という言葉を使う人なのだ。
でも、「心配してる」という言葉には、
「悪いことが起きそうだから、そうならないように祈ってるよ」
というネガティブさが含まれてしまっているように感じられて、私はそれを言われると、ものすごく不安になってしまう。
「応援してる」と「心配してる」は、相手を案じているという点においては似ているようだけれども、受け取る側の心証は、決定的に違う。
♢♢♢
誰かを元気づけたい時、どんな言葉をチョイスするかは、人によってさまざまだ。
言葉のチョイスの仕方にはその人のバックボーンが反映されているから、自分と違っていても仕方がない。その人がどういう意図でその言葉を選んだのか、想像力で補うしかない。
だから私は、「心配してる」と言われたら、自分の中で、「応援してくれているのだ」と、ポジティブな意味に変換して受け取るようにしている。
「ポジティブフィルター」を通すのだ。
そして、「心配してる」にくっついてきた不安は、できる限り手放す。
反対に、私が誰かに言葉をかける時は、できるだけ「応援してる」にしようと思っている。
仮に心の中に心配の気持ちがあったとしても、それはまた「ポジティブフィルター」を通して、ポジティブな祈りだけにして相手に届ける。
悲しみや寂しさや不安を共有することで、絆が深まることもある。
でも、できることなら、
「あなたならきっとできるよ」
「きっとすべてうまくいくよ」
そんなポジティブな祈りが相手と自分の間を行き来するような、そんなフィルターを、いつも心に持っていたい。
このnoteにいただいたサポートは、他の方のサポートや、良い記事を書くための投資に使わせていただきます。